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エニアグラム タイプ9:自己保存(SP9)

2024年9月28日土曜日

SP エニアグラム サブタイプ タイプ9 生得本能

エニアグラム・生得本能(本能のサブタイプ)サブタイプ別の詳細な特徴、海外書籍情報の翻訳・まとめ

タイプ9:自己保存(SP9)の詳細

生得本能・自己保存におけるタイプ9の「怠惰」

タイプSP9の原動力は、自分の欲求を満たすことです。ここでの怠惰は皮肉にも、本当に必要な満足を重要でない満足に置き換える形で現れます。タイプ9が、食べる、寝る、ゲームをする、スポーツをする、読書をするなどの活動に没頭して自分を麻痺させるのはよく見られることです。怠惰のせいで精神的なつながりや内なる自己との接触を失い、明確な行動を取れなくなり、肉体的な刺激をただ追い求める非合理な行動に走ることがあります。つまりこのタイプには、自分を忘れるための活動への情念と、基本的な生存を確保しようとする情念という二つの面があります。

イチャーソはSP9を「食欲」と呼びました。自分の欲求を満たすことに強い執着を持ち、それによって本当に必要なものを感じ取ることができなくなる人です。ナランホはそれをさらに詳しく説明しています。自己保存における怠惰は、生存の必要性に対して無頓着となり、それが実際に必要なものに対する認識の欠如として現れ、生存に対する必要性が、快適さや食べ物、気晴らし、睡眠、その他の感覚刺激に対する絶え間ない渇望にすり替わってしまうのです。

特徴的な構造

Naranjo, C. (2018). "La pereza psicoespiritual" (Translated by star_shine)

放棄的

自己保存型のタイプ9の生活では、物事が起こるままに任せる(神が与えてくれる)ことや、日常の課題に向き合う際の決意や勤勉さの欠如が繰り返されます。この戦略は「何が起こるべきか、起こらないべきかを決定する、より大いなる何かがある」という考えに基づいています。この降伏の中には、健全で賢明とさえいえる受容の部分もあれば、それと同時に、自分の欲望やニーズに従って行動できない怠惰な性格の本質である有害な諦観も含まれています。

よそよそしさ

無気力や怠惰は、愛する人(兄弟や友人)とのより親密な関係を先延ばしにし、愛情、尊敬、友愛を育むことを阻み、彼らにとって本当に大切な人たちとの疎遠に繋がります。現実には、自分が存在していない・自分自身が見えなくなるという経験や感覚は、他者の存在を感じ取れず、認識できなくなるという形で現れます。そして、孤独やフラストレーションが生じます。

ポジティブな想像力

ラブストーリーを読んだり、ロマンティックなコメディやドラマを見たりして、実際には存在しない愛を埋め合わせます。自分が幸せでなくても、まるで他人の人生を生きているかのように感じ、他人が幸せそうであるのを見て満足してしまうのです。そうすることで、たとえ今は愛がなくても、いつかは愛が得られるという夢を見ることができます。

感情の鈍化

自己保存型のタイプ9は、長時間の感情的な激しさに耐えられません。このタイプにとって、過度な感情は危険なものです。コントロールを失うことや、自分の内面に隠れている未知の側面を発見することへの恐れが不安を引き起こします。感情の激しさに従い、より深く踏み込むことで、自分の中に何か恐ろしいものを見つけてしまうのではないかと恐れています。

そして、他者の必要性が徐々に減っていき、最終的には他者を必要としなくなってしまう可能性があります。それによって孤独になるという暗黙のリスクが伴います。

彼らは自分の感情や考えに自信がありません。自分が感じたり、考えたり、望んだりすることが正しいとは思えず、世間の承認なしに自分の衝動に従うことを危険だと感じます。基本的に、自分が存在するかしないかという混乱があり、さらに拒絶や無関心に対する恐怖も抱えています。自分自身を信じる必要がありますが、世界から承認を得られないと、彼らは自分の存在を感じられません。対立や問題を避けるために、諦めて適応しようとします。

身体的な自信

自分の身体と、その能力が常に最大限に機能することを非常に信頼しています。自分の身体こそが生存の保証であり、困難に立ち向かうための道具なのです。常に健康であると感じていたいと考えています。もし身体が不調になると、裏切られたように感じてしまいます。

頑固で反応的

自分の主張を通すためには、怒りとエネルギーが必要です。彼らは相手を完全には信用していないため、最初から警戒心を持って構えています。常に相手が自分のことを愚かで、子供っぽく、場違いだと思っているのではないかと恐れています。議論中に自分の意見を聞いてもらえないと感じると、自然に声を荒げます。大声を出せば無理やり相手に話を聞かせられると思っていますが、実際には自信を持って理論を支えきれないために勢いをつけようとしているのです。相手が自分を理解しないのは、相手が自分の話を聞こうとしていないからだと考えます。その結果、自分が認められていないと感じ、不快感を覚えます。まるで自分が透明で、相手にとって存在しないかのように感じます。

その結果、彼らは頑固で、自分が間違ったことを簡単には認めず、態度や意見を変えるまでの間、どんな些細なことにも固執することがあります。窮地に立たされていると感じて、自分を守らなければならないと思ってしまうのです。相手の正しさを認めることは、自分自身を放棄するようなものであり、相手に自分に対する権力を与えるのではないかと恐れます。また、自己主張を放棄することは「静かで調和の取れた生活」の名の下に自分自身を裏切ることでもあると感じます。葛藤の中で自分を維持することは、このタイプの人々にとってはほとんど狂気のように感じられます。だからこそ、「何が起こっても大丈夫」と自分に言い聞かせます。最初は怒りを感じますが、やがて不安、疑念、孤独への恐れに変わり、意欲の減退もやってきます。結局、弱く見えないように、自分の考えに忠実であり続けるために頑固になります。

親切と不安

自己保存型のタイプ9はフレンドリーです。考えを発表し、言いたいことがあり、それが形式的なものであったとしても、友人や同僚との議論では簡単に中立を保ちます。話し始めると饒舌になり、情熱的になり、強調と感情を込めて表現します。しかし、彼らは話している最中、自分の話を聞いている人々の表情に気を配り、自分に同意しているかどうかを感じ取り、自分の話に同意を求めるような言葉を文章の中に滑り込ませます。同意されていないと感じると、すぐに自信を失い、委縮してしまいます。このタイプの人を理解するには、シンプルでわかりやすい言葉が必要です。適切な言葉は「率直さ」であり、彼らが自信を失いそうな回り道や操作を避けることが重要です。

自分の考えや感情、身振りが承認され、評価されていると気づけば、彼らにとってそれはうまくいっているということを意味します。そうして評価という価値を獲得することで、繰り返し使う強みの源になります。これは、彼らが自分を他者に見せるときに経験する不安感や拒絶の脅威を補うものであり、根底には「自分は正しくない」という考えがあります

変化への抵抗

彼らは確実性を求めており、変化を受け入れるには努力が必要です。今とは異なる方法をとって、自分を方向づける方法がわからなくなることを恐れています。別の道を試すことは、道に迷ってしまう可能性があります。自分を守るためのリソースを見つけ出す能力にも自信がありません。彼らは嵐が過ぎ去るのをただじっと待ちます。生き延びるために欲望を抑えることを学びます。あらゆる変化は、仮にその変化が肯定的であったとしても、不安定なものとして経験されます。

他の自己保存型タイプ9は、変化を求めつつも、余計な変更を行うことでそれを追い求めたり、ただ変化が自然に起こるのを待つことが多いです。彼らは、衝突を避けるためだけでなく、フラストレーションを回避するためにも、簡単に欲望を手放します。彼らは正反対のものが存在すること自体は理解しているものの、それらが互いに打ち消し合わずに共に存在するという選択をすることが難しく、その結果として、どちらかを選ぶのではなく、どちらも選択できなくなってしまうという状況に陥ります。この感情的な硬直性は、不安感や危険を感じること、何を信じてよいか分からないという感覚、そして自分の内面の感覚よりも世間の意見に重きを置く習慣から生まれています。白は確実であり、黒も確実です。しかし、それらが混ざり合ってしまうと、彼らはどう捉えればいいのか分からなくなってしまいます。

惰性的な貪欲さ

経験や知識に対する無意識の貪欲さはあるものの、惰性を打ち破り、探求を始める内発的な原動力に欠けています。彼らは、まるで外部からの照明のように、物事を外側から見なければならないという錯覚を抱いています。自分の直感や欲望を信じていないため、何を望んでいるのか、どう生きるべきかを探し出す方法が分からず、迷子になることや間違えることを恐れています。その結果、彼らは欲求不満のまま無意識に飢えているのです。だからこそ、彼らは全てを覆す「非凡なもの」を探し求めます。それを想像することは彼らに恐怖を与えつつも、興奮をもたらします。自分の身の回りに起こることに驚くことで、彼らは人生に触れることができるのです。それは平凡とは正反対であり、欲望を活性化させます。

現実からの逃避

現実をどう生きればよいのか分からず、彼らは逃げ道を探します。彼らは、自分の王国がこの世には存在せず、別の世界にあるという幻想を抱いています。幼少期に現実と向き合わずに逃避してきた彼らは、目を閉じている方が現実よりも豊かな経験を味わえました。そうやって異次元へと繋がる感覚に浸りながら、日々を過ごしていたのです。彼らは自分の能力を軽んじて、「自分はこの世界にふさわしくない」と被害者意識を抱き、「誰も私のことを理解してくれない」と感じています。現実の世界に居場所を感じられず、調和だけがある別の次元への郷愁を抱いています

自己保存型のタイプ9にとって、現実は決して完全に受け入れられるものではありません。彼らは現実を変える代わりに、それを彩ることに多くのエネルギーを費やします。毅然と立ち、世界を革命的に変えることを想像しながら、多くのことに耐え忍ぶことができます。真の変化に抵抗するには、精神的な努力と自己コントロールが必要なのです。それまでちょっとした変化も起こさなかったのに、ある日突然、圧力鍋のように爆発し、何も考えずに行動して、全てを一掃することがあるかもしれません。

信じやすさ

このタイプの人が非難された際の最初の反応は、相手が正しくて、本当に自分が悪いのだと信じ込むことです。その後、考え直して初めて、自分だけに責任があるわけではないと気付くかもしれません。

衝突回避的

彼らは経験を消化して学び取るのが遅く、一度結婚しただけでは火の危険性を学べません。深く考えることは判断を下すことであり、それは自分自身との葛藤を引き起こします。葛藤は不安、疑念、混乱、不安定さを生じさせ、さらには他者ではなく自分を選ぶ可能性が生まれ、それが利己主義というタブーに近づけます。だからこそ、彼らは物事を相対的に見ることができず、人間関係や約束ごとを何事も真剣に受け止めます

選択を避け、先延ばしにする

豊かさを前にしても、彼らは何を選べばよいのか分かりません。全てが同じ平面上にあり、一つのものが他のものと同じに見えてしまいます。自分が真に何を望んでいるのか分からないため、それが衝動的な欲求に変わり、あらゆることを試そうとしてしまいます。選択には労力がかかり、正しい選択が何か分からないという恐れから、重要な決定を無限に先延ばしにすることがあります。リスクを冒すことを恐れ、考えすぎたり感じすぎたりすると、行動に移せなくなり、それがさらなる不安を引き起こします。彼らは選択肢をどう評価すればよいのか分からず、判断基準が定まらないまま衝動的に選んでしまうことがよくあります。それが、彼らがしばしば戸惑いや混乱を感じる理由です。なぜなら、彼らは常に多くの選択肢や責任を抱えていて、それらを整理しきれず、全てが同じように重要に思えてしまうからです。さらに、選択をするということは、自分の立場を明確にし、自分の欲望を認識することを意味します。これにより、彼らは欲望を持つ「自分」に直面しなければならなくなり、それが選択をさらに困難にしてしまうのです。

衝動的で純真

彼らにとって、お金は欲しいものを手に入れるための手段として重要です。気に入ったものがあれば、気づかないうちにその価値以上の代金を支払ってしまうことや、逆に価値を過小評価して、自分に役立つものであっても買わないこともあります。過剰から不足へと、彼らは衝動的に使いすぎたり、思い悩んで諦めたりします。もし自分で作ったものを売る場合、それを作ることで喜びを感じたなら、彼らは原材料相当の価格を設定するかもしれません。それを作ることで得た喜びに対して、対価を請求することができないからです。

低い自己評価

彼らは待つのが苦手で、何でもすぐに揃うことを望み、全てが一度で完璧に仕上がることを期待します。フラストレーションをうまく処理できず、自分の学習能力を信じていません。「私は無価値だ」と思い込んでしまいます。自分が下したこの判断に対して、彼らは反抗的な反応を示します。「私にはそれは必要ありません」と言います。彼らは戦うことを諦めることを選びます。

反抗的

無意識に反発的な態度を取ることが多いです。緊張感のある状況では、彼らは問題に関わることを避け、ただ観察する立場を取ります。しかし、平和で調和のとれた状況では、逆にその安定を乱すかのように、不寛容で挑発的な行動を取ることがよくあります。これは彼らの内面的な反抗心と結びついた態度です。実際、彼らはしばしば積極的に参加することを避け、物事を深く体験する代わりに、それをただ頭の中で解釈することに時間を浪費してしまいます。さらに、彼らは自分自身とも対立し、規律に欠けることが多いです。頭では計画を立てたり、課題を設定したりしても、実行に移すための決意や情熱が不足しており、感情的な関与も欠けています。こうして、自分が自由であるという錯覚に陥り、「自分はやりたいことをしている」と思い込んでいますが、実際には本来すべきことから逃げていることがあります。

内気

彼らは非常に内気です。それは、自分が存在しておらず、ただ世界を眺めているだけだからです。彼らは自分が目立つ立場に置かれると極端に不安を感じ、他人の視線にさらされているように思います。そのため、注目の中心に立たないように自分を無理に抑えようとします。人間関係においても、彼らは自分から関係を始めようとしません。相手が自分に興味を持たないだろう、または自分が相手に迷惑をかけるのではないかという不安を常に抱えており、拒絶を恐れ、他人の評価に対して非常に敏感です。

先延ばし癖

彼らは問題に向き合うよりも、ついつい先延ばしにしてしまいます。口論や衝突を避けるため、気に入らないことや面倒に感じることは簡単に後回しにします。また、状況が整理や行動を必要としている場合でも、どこから始めればよいのかわからず、混乱して諦めてしまうことがあります。

犠牲的

彼らは自動的に自分を犠牲にし、ロボットのような利他主義で相手の不快感を察知し、相手に自分を捧げます。そして、自分を放棄し、その放棄を他者に示します。基本的に、彼らは「自分が他者に尽くすことで、初めて他者から見られたり愛されたりするに足るだけの価値が生じる」という受動的な信念を根底に持っています。彼らは相手をオリンポスに置き、神のようにあがめます。自己保存型のタイプ9にとって、自分自身を神のように感じることはタブーです。このため、彼らは自分の理想のイメージを相手に投影し、相手を絶対的で唯一無二の光り輝く存在として崇めます。彼らは、相手を大切にすることで、相手から自分が特別だと思ってもらったり、相手から輝きを返してもらえると考えています。そのため、相手の影になることに同意し、相手の光で自分を照らしてもらおうとします。これは寄生的な関係であり、相手を養った後に、自分も相手から養ってもらう関係とも言えます。

関わりと執着

人間関係や経験から抜け出すことが難しいです。たとえその関係や経験がもう終わったと感じても、手放せずに執着し続けることがあります。方向性や目的もなく宇宙を彷徨うよりは、その方がまだマシだと考えています。

自立

このタイプの人は、他の人が自分だけに依存することを好みません。それは、自由で自立していたいという彼らの欲求を乱すため、負担に感じてしまうからです。彼らは他者に自分を完全に捧げることができる一方で、自分がその相手にとって不可欠な存在であると感じることは、過度の約束や責任を伴う負担に思えます。

限界がない

彼らにとって、自分自身にも世界にも限界があることを理解するのは困難です。ブレーキを感じられず、いつ止まりたいのか、いつ止まるべきなのかさえわかりません。まるで永遠に進み続けることができるかのように動き続けます(これは慣性の原理で、外部の力が介入しない限り物体は直線運動を続けます)。これは、自己とのつながりが希薄で、自分自身の感情や限界に気づかないため、他者との関係を通してしか自分の存在を感じられないせいです。恐怖が現れることで、止まるべき時が来たと気づくことができるため、このタイプの人の場合、恐怖が一種の味方になることもあります。

彼らはこうした時、すぐに他者と対話しようとします。彼らは復讐を慰めの手段と考え、それについて思い悩むものの、実際に行動には移さず、怒りに固執し続けることがあります。相手がまだ怒っているのではないかと疑いやすく、他者の怒りが続いている可能性を受け入れるのが難しいです。そして、相手が自分に対してまだ怒っているかを確認するために、操作的な行動を始めることもあります。対立が他者にとって紛争に発展していないことを確認し、調和を取り戻し、世界との平和を感じ、対立が終わったことを知る必要があります。

型にはまらない

彼らは社会的ルールや権威に意図的に背くわけではありませんが、同時に、社会通念や道徳的ルールに反することを特に問題視していません。形式に則った行動の仕方がわからないため、自分の役割を意識するのが難しいのです。そのため、強気で自信に満ちているように見えることがありますが、実際には、何らかの役割を果たすことで、自分を守ることができるという可能性に気づいていないのです [1]

シンプル

このタイプの人は自然の中に身を置くことに心地よさを感じ、動物に対して愛情と深い尊敬の念を抱いています。なぜなら、自然や動物との関係は、よりシンプルな形で発生するからです。

クラウディオ・ナランホ

Naranjo, C. (2012). "27 personajes en busca del ser"

エニアグラム タイプ9 保存 (自己保存) – 食欲

では最後に、イチャーソが食欲という言葉で説明したタイプ9の自己保存型について触れたいと思います。彼らには大柄な人が明らかに多いですが、これは旺盛な食欲によるものである可能性が高いです。ドン・キホーテのサンチョ・パンサはまさにタイプ9自己保存型の典型的な例です。セルバンテスが彼を名付けるにあたって、その特徴的な腹を選んだ点は興味深いことです。

ある人が「我思う、ゆえに我あり」と言った場合の分析をしてみましょう。様々なタイプの人々が、このデカルト的な考えを持つ可能性があります。タイプ6であれば「私は私が存在すると思う、ゆえに私は存在する」と言うでしょう。タイプ4であれば「私は苦しむ、ゆえに私は存在する」と言うでしょう。実際、これらはそれぞれのタイプの人々が、自分の存在の空虚さをどのように感じているかを具体的に描写した表現だと言えます。4SXの例を考えてみましょう。このタイプの人の中心的なテーマは競争的な憎しみであり、彼らには攻撃的な面があります。4SXの場合、「私は憎む、ゆえに私は存在する」と言うことでしょう。このように、人は様々な代用物や幻影を用いて自らの存在の問題を解決しようとしますが、こうしたアプローチには各サブタイプの主要な特徴がよく表れています。

人間には、あらゆる種類の「存在」の代用品があります。この代用品の雑多さといったら、まさにペロペロキャンディの狂乱のようです。人は皆、「これこそ私が探していたものだ」という錯覚をしてしまう、あれやこれやの様々な「おしゃぶり」を持っています。しかし私たちはこれらの幻想を追いかけるあまり、実際には存在しない理想的な状況や状態を求めてしまいます。結果として、私たちは自己認識を失い、本来の自分を見失ってしまうのです。このようにして、私たちは道を見失います。

SP9の場合、小動物と非常に似ています。「私は食べる、故に私は存在する」だけに限りません。「私は眠る、故に私は存在する」、「私は持っている、ゆえに私は存在する」、「私はここに立っている、ゆえに私は存在する」…人生の事実、ありふれた全てのことが、彼らの意識を妨げる力を持っています。どういうわけか存在の問題はSP9の生活から消去されています。サンチョ・パンサと「存在」について語ることはできません。あるのは彼の腹だけです。母親の乳房は、哺乳瓶に完全に置き換えられてしまったため、母性愛の記憶は彼らの語彙の中に存在しません

つまりSP9はとても愛情深い人々ですが、心の奥底では愛されているという感覚を持っていません。彼らの諦観はその最たるものです。彼らの中には、ある種の喜び、ある種の優しさがありますが、それは愛の完全な経験からは程遠いものです。

エーリッヒ・フロムはすでにこう言っています:「持つことと存在すること」。おそらくこのタイプの人にとっても同じことなのでしょう。例えば、偉大な銀行家の世界では、二重あごの親しみやすい顔をした非常に現実的な人々を多く見かけます。これがホモ・エコノミクス [2]です。

サンドラ・マイトリ

Maitri, S. (2001). "The Spiritual Dimension of the Enneagram"

9+自己保存 – 食欲

自己保存型のタイプ9は、食欲や空腹を満たすことに焦点を当てています。彼らの「怠惰」という情熱は、真に必要なものの代わりに、必要でない満足を代用する形で現れます。最も深いレベルでは、物質的な満足を精神的なものの代わりとして置き換えることが挙げられます。より表面的な例としては、栄養豊富な食事が必要な時に、チョコレートバーで済ませてしまうといった行動がそうです。また「食欲」という言葉が示唆するように、自己保存型のタイプ9は、栄養を得られるかどうかの不安から、実際に必要な量以上に摂取したり、手に入れたり、食べ過ぎたりする傾向があります。

ベアトリス・チェスナット

自己保存9サブタイプの説明(2021)

Chestnut, B. (2021). "The Enneagram Guide to Waking Up"

このサブタイプの人は、食事や読書、テレビ鑑賞、パズルといった快適な日常生活や身体的な活動に没頭しやすいです。他の2つのサブタイプと比べると、より現実的で地に足がついており、イライラしやすく、頑固です。また、最も周囲からの影響を受けにくく、一人の時間を好む傾向があります。ユーモアのセンスを持っていることも多いです。

他人から見下されたり、プレッシャーを感じたりした際に、頑固になったり、受動的攻撃的な行動を取ったりする傾向があるかどうかに気づくことが重要です。何かを命じられたときに、反発して動かなくなることがあるかもしれません。また、怒りや自分の力に対して無意識になり、安全で快適な状態を保つために、怒りを意識しないようにすることもあります。彼らは、怒りが頑固さとして表れていることに気づかないことも多いです。世の中に出て、自分の意見を表明したり、主張したり、力を発揮したり、変化を起こすことを避けるために、心地よい活動や日課に没頭する傾向があるかもしれません。彼らが成長するためには、自分の怒りを自覚し、その力を受け入れる必要があります。

自己保存9サブタイプの概要 (2013)

Chestnut, B. (2021). "The Complete Enneagram"

自分の感情、欲望、力との継続的な繋がりを感じる代わりに、食事、睡眠、読書、クロスワードパズルなど、快適な日常の活動に没頭する傾向があります。このタイプの人は、抽象的なことよりも日常的なことを重視する、現実的で具体的な人々です。

自己保存9サブタイプの概要 (2013)

Chestnut, B. (2021). "The Complete Enneagram"

自己保存タイプ9:「食欲」

怠惰という情熱と自己保存を最優先にする本能が組み合わさることで、イチャーソに倣ってナランホが「食欲」と呼ぶタイプ9のサブタイプが生まれます。彼らの深い動機は、身体的な欲求を満たすことで、世界に安らぎを見出すことです。このサブタイプの人は、食事、読書、ゲーム、テレビ鑑賞、睡眠、さらには(仕事が快適であれば)仕事をすることにも満足感を見出します

自己保存型のタイプ9がどのような形の活動を選んだとしても、重要なのは、彼らが具体的な欲求を満たす経験と融合することで、自分にとっての安全と安らぎを見つけようとしている点です。こうして好みの活動に没頭することで、彼らは同時に自分自身の存在や、その存在と繋がっていないことによる痛みを避けたり「忘れたり」しながら、日常的な欲望を満たす快適さの中に、「存在」の代わりとなる感覚を見つけるのです。

彼らにとって、外の世界に出て潜在的な衝突や過剰な刺激を受けるリスクを冒すよりも、身体的な快適さや、慣れ親しんだ形で自分の生活を組み立てるルーチンに逃避する方が安心だと感じます。快適な活動に没頭して自分を見失う方が、予測不可能で複雑な出来事に自分をさらけ出したり、心を開いたりするよりも、ずっと簡単なのです。

自己保存型のタイプ9は具体的な人々で、目の前の経験を重視し、抽象的なものや形而上学的な概念にはあまり関心を示しません。このタイプの人には「心理的な心の状態」や「内省」が少なく、より具体的で身近な「やるべきこと」に集中します。彼らは理論よりも経験の方がはるかに扱いやすいと感じます。しかし、彼らは必ずしも自分の経験を言葉で表現するわけではなく、一般的に、自分の内面で何が起こっているかについてはあまり話しません

ナランホは「食欲」の背景にある意味を、一種の過度な「生き物的な性質」と表現しています。つまり自己保存型のタイプ9は、「私は食べる、だから私は存在する」、あるいは「私は眠る、だから私は存在する」といった態度が特徴で、もっと広い意味での「存在」の問題を消し去っているのです。日々の現実は、彼らが自分の経験に欠けているものについての抽象的な問いを考える妨げになっています。このタイプの人は、よりシンプルで直接的な方法で人生を生きる人々です。

他の二つのサブタイプと比較して、このサブタイプの人は一人でいる時間を望む傾向があります。他のタイプ9と同様に、彼らは習慣的に他者や環境に注意を向けていますが、実際には一人でいる方がリラックスでき、落ち着くことができると感じています。なぜなら、一人でいることで、自分が取り組んでいる活動により完全に没入し、リラックスすることができるからです。このタイプの人は、皮肉と自己卑下が特徴的な独特のユーモアセンスも持っています。

彼らはとても愛情深い人々ですが、心の奥底では、自分は他者から愛されているという感覚を持っていないことが普通です。まるで、自分への愛を積極的に受け取ることを諦めてしまっているかのようです。自己保存型のタイプ9が快楽的な活動に安らぎを求めるのは、他の欲求を満たすことで、自己犠牲によって失われた感情や欲求を他の手段で補償したい、または愛の必要性を放棄することの埋め合わせをしたいという願望を反映しているのかもしれません。このタイプの人の陽気さや遊び好きな精神は、非常に現実的で魅力的な資質ですが、これは過去の愛の不足、あるいは重要な人間関係での欠如に対する埋め合わせの一種である可能性もあります。つまり、彼らは楽しみを愛の代償にするのです。

自己保存型のタイプ9は活動的で直感的な傾向があり、ある種の繊細な強さを表現します。このサブタイプは、三種類あるタイプ9のサブタイプの中で最も「タイプ8」に似ています。行動に対して惰性的な感覚を持っていて、この点で明確にタイプ9だと判別できるので、タイプ8に間違えられることはまずありませんが、自己保存型のタイプ9は力強いエネルギーを持っており、特に自己主張がかなり弱いセクシャル型のタイプ9とは対照的です。彼らは他の2つのタイプ9のサブタイプよりも強い存在感があり、よりイライラしやすく、頑固になることがあります。自分ではなく他人が正しいことを受け入れるのは、彼らにとって非常に難しいことです。このサブタイプは、他のタイプ9のサブタイプよりも過剰な生活を送る傾向があり、あまり怒らないものの、問題を引き起こす人に腹を立てると「平和主義者の怒り」を見せることがあります。

ハイキ

The Haiki Enneagram Website

自己保存9:食欲

このサブタイプの人は食に情熱を注ぎ、満足感を求める願望を全て食に注ぎ込みます。怠惰の情熱を食欲に変えるのです。食べることへの飽くなき欲望で、怒りや欲望という感情と自らの断絶を覆い隠しています。肥満の問題を抱える傾向があり、必要以上に飲酒を好む場合もあります。隠れアルコール依存症になることもあります。

このサブタイプの人は、自らの存在感を極限まで希薄化しようとする傾向があり、まるで世界から消え去ることができるかのように見えます。

他者といると自分の居心地のよい場所から外れてしまうので、それを避けることを好みます。とても内気で恥ずかしがり屋なので、可能な限りあらゆる人混みから逃げ出してしまいます

親しい友人や家族と一緒にいることが多いですが、それ以外の世界には無関心です。

さらに、野性的で権力を求める自己保存型のタイプ8とは対照的に、自己保存型のタイプ9は親切で、優しい性格で、高潔で無害な人物として他者から認識されやすいです。とはいえ、夢うつつのまま無気力に安易な快楽に溺れたり、ロボットのようになって自分自身を粗末に扱ううちに、彼らの人生は悲しく灰色に染まっていきます。

カルメン・デュラン、アントニオ・カタラン

Durán, C. and Catalán, A. (2009). "Los engaños del carácter y sus antídotos"

SP9: 食欲~気晴らし

欲求の充足は、食欲の充足に取って代わられ、食欲で代用されます。こうして、あるものが別のものに置き換えられ、代替物で満足するという形が生じます。「気晴らし」は、彼らが真の欲求に従う義務から逃れるためのツールであり、それ自体が行動を動機付ける欲求そのものとなります。食欲は、肉体的な満足を得ようとする欲求であり、人生を複雑にしない形での代替的な満足を求めるものです。彼らは、心配する必要がない快適で安全な状態を手に入れることで、真に満たしたい満足や欲求の代償にしています。時には愛情への飢えが、食べ物や物質的なもの、ゲームや読書といった実際の食欲や物欲へと変わります。これらは全て、より深い欲求を覆い隠すための気晴らしのようなものです。


出典:
本記事はPDB(Pdb: The Personality Database)様のwikiであるhttps://wiki.personality-database.com/様の上記リンク先ページを日本語へと翻訳し、訳者判断でアンダーラインを引いたものです。CC BY-NC-SA 3.0を継承しています。


訳注

  1. ^ SP9は、同一の出典上にある「他者に自分を完全に捧げることができる」という箇所の通り、むしろ「他者との調和を重んじて、役割を引き受ける傾向がある」とも解釈可能なタイプである。これらの二面的な特徴を併せると、「SP9は意識的に、自分を守るための手段として、役割を果たすという行動を意識的にあまりとらない傾向がある一方で、無意識的に他者から望まれている役割を果たすことがあるという二面的な性質を持っている」と言えるかもしれない。
  2. ^ ホモ・エコノミクス:自分にとって最も得になることを考えて行動する合理的な経済人のこと。物を買ったり選んだりする際に、利益や効率を重視して判断する人のこと。

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