エニアグラム・生得本能(本能のサブタイプ)サブタイプ別の詳細な特徴、海外書籍情報の翻訳・まとめ
タイプ6:ソーシャル(SO6)の詳細
生得本能・ソーシャルにおけるタイプ6の「恐怖」
タイプ6が抱える恐怖は、他の人との関わりの中で特に強く感じられます。SO6は恐れを感じると、それを避けるために「法律」や「ルール」に従うことで安心しようとします。信じることができるものとして、グループやリーダー、または自分の道徳的な基準に適応し、これを守ることで不安を解消しようとします。結果として、SO6はとても忠実で、他人のために尽力し、決められた方法を守ることに強い義務感を感じます。また、効率や生産性を大切にし、何事もきちんとやり遂げようとします。他のタイプ6(SP6)はいつも何かを信じるのが難しいのに対して、SO6は物事が明確に決まっていれば安心して従うことができます。しかし、SO6は自分の信じることを曲げることに強い抵抗があり、信念に柔軟さがありません。とはいえ、SO6は単に何かを盲目的に信じるわけではなく、それが正しいと確信できるまでは疑いを持ち続けます。しかし、もし一度信頼したものに裏切られると、SO6は自分なりの新しいルールを作り、それを「本当に正しいもの」と信じることがよくあります。
イチャーソはSO6を「義務」と呼びました。これは、SO6が他人に受け入れてもらいたい一心で、グループのルールに従おうとするからです。彼らはまた、自分の感情や欲望を抑えるために、理屈や考え方に過度に頼ることがあります。例えば、何かをしたいという気持ちが湧いても、それを抑え込むために頭で考え、感情や衝動に流されず、理性的に行動しようとするのです。このようにして、欲望や感情を抑えることで、物事をコントロールしようとする傾向が見られます。ナランホは、SO6を「自分の不安や疑念を恐れる人」と表現しました。SO6は、恐怖から自分を守るために、何をすべきか、何を避けるべきかを決めるための仕組みを心の中に作り、まるでロボットのようにその通りに行動します。
特徴的な構造
Naranjo, C. (2018). "La pereza psicoespiritual" (Translated by star_shine)
以下の説明は、エニアグラムタイプ6に関する書籍「Cobardes, desafiantes y fanáticos: Las formas del Miedo(臆病者、反抗者、狂信者:恐怖の形態)」から抜粋した元の説明を要約したものです。この書籍はクラウディオ・ナランホの弟子たちによって書かれ、彼の監修のもと、彼の名前で出版されました。
SO6は、社会的な場面で慢性的に恐怖を感じています。この恐怖が何に対するものかというと、人生そのもの、拒絶されること、怒りや葛藤、恥ずかしさ、屈辱、自己表現すること、そして存在そのものに対する恐れです。環境との関わりには、しばしば自分を抑え込むような感情が伴います。その結果、周囲の環境は圧倒的であり、疎外感を感じさせるものになります。
「あなたに私の目を捧げます」「あなたに私の声を捧げます」
SO6は自分の目と声を他人に委ねます。彼らの内なる声は、「できていない」「うまくいっていない」と繰り返し否定します。そして、その声が外界に対する批判的な視線や否定的なジェスチャーを引き起こします。彼らは自己批判が強く、常に自分を厳しく見つめ続けます。その結果、自分に対する視線が痛みを伴う批判的なものとなり、まるで自分自身が壊れてしまうように感じます。自分の視線を他人に向けることなく、全てを自分に向けて自己評価を行うため、彼は次第に自分の基準や感情を失ってしまいます。
しかし、その自己批判のエネルギーをそのまま内に閉じ込めるのは耐えられず、その暗いエネルギーを他人に投影し始めます。自分の不安や恐れを他人に向けることで、短期的には少しの安心感を得ることができるのです。まるで、他人が自分を批判しているかのように感じることで、自己批判から一時的に解放されるかのような気分になれるのです。ところが、この投影には代償があります。彼が加害者の視点を内面化し、加害者と同一視することによって、周囲とのやり取りは次第に脅威や不安を感じるものに変わり、他者から批判される恐怖が強まります。投影した暗いエネルギーは、最終的に彼自身を困難な状況に陥れる原因となり、周囲の人々との関係はますます脅威的に感じられるようになります。それは、批判し、罰し、屈辱を与える多くの視線の圧政です。その結果、SO6は周囲からの視線や言葉に圧倒され、どんな言葉や態度も自分に向けられているように感じてしまいます(実際にどうかは、もはや関係ありません。少なくとも彼らはそう感じてしまいます)。世界は迫害で満ちたものに感じられてきます。そんな中で彼らができることはただひとつ、決められたことに従うことだけです。
迫害されるような不安や自己批判、過去の嫌な記憶が、「一人ぼっちで隅に追いやられる未来」を思わせ、不安をかき立てます。学校での恥ずかしい経験や罰、家族からの否定、そして「こうしなければならない」と押しつけてくる厳しいルールや権威(まるで厳格な神や罰を与える存在のようなもの)のせいで、自然に行動する力を失ってしまいます。自分をコントロールできなくなることは、「仲間外れにされるかも」「おかしくなってしまうかも」という不安がよぎり、とても苦しく感じます。「もし自分をコントロールできなくなったら、みんなに笑われるかもしれない」とか「本当におかしくなってしまうかもしれない」と、不安でいっぱいになります。
学校や友達、仕事、近所の人たちと同じように振る舞うために、とても大きな努力をしています。自分が知っていることには、とても得意でなければならないと感じますが、同時に目立ったり、注目され過ぎないように気を付けなければならないとも感じます。人生を他人の期待や基準に合わせようとするあまり、自分を見失ってしまい、自分の考えや自由を失い、自分の気持ちを表現する力もなくしてしまいます。これは、他人の目や意見に振り回されて、自分自身から遠ざかっている状態です。
権威と、あるべき理想に従うこと
簡単に言うと、SO6は他の人に自分が何をすべきか教えてもらおうとします。自分が何をすべきかを外の力(権威や理想)に任せることで、自分の行動の結果から部分的に逃れようとします。自分に何をすべきか教えてくれる人がいたり、あるいは自分が決まりに従っていると感じることで、自分自身や自分の基準を放棄する代わりに、罪悪感に関する痛みや考えから逃れることができます。
親切さの戦略
「いい子」でいなければならないという強迫観念。否定的な感情を抑え込んで、他の人に投影すること。騎士道のような態度。「従うこと」、つまり相手の期待に応えたり、指示に従うことは、まるで交換のようなもので、その見返りとして安心や確信を得られると考えています。しかし、この方法は「怒り」というネガティブな感情を感じることを避けるために、意識的にその感情を抑え込み、切り離してしまうことを要求します。
投影的同一視を通じて、彼らは自分が抑圧した感情を無意識のうちに相手に投影します。その結果、相手は無意識のうちに反応を示し、その反応が彼らの投影した感情をさらに強めることになります。相手が実際にその感情を感じているかどうかは分かりませんが、彼らの中では、相手がその感情を感じていると認識され、最終的にはその感情を相手のものとして同一視してしまいます。こうして、彼らの主観的な世界は歪んでいき、投影された感情が強化されていくのです。
「親切な」態度を取ることで(自分が怒っていることに気づかないままで)、かえって相手をイライラさせたり、攻撃的な反応を引き起こすことになります。つまり、彼らは自分の本当の感情を隠して、あくまで「親切な」態度を取ろうとするのですが、無意識のうちにその裏にある怒りや不満が相手に伝わってしまうのです。その結果、相手がイライラしたり、攻撃的な反応を見せてしまいますが、彼らはその相手の反応を、自分が感じている怒りや不満が正当であることを証明する材料として利用します。相手が繰り返し示す反応、例えばイライラしたり、攻撃的な態度を取ったりすることによって、SO6は自分の中にある否定的な感情が間違っていない、むしろ相手がその反応を引き起こしたからこそ、私がこのような否定的な感情を持ってしまうのも仕方がないことだ、正当なことなのだと感じてしまいます。こうした反応が繰り返されるたびに、自分の感情が理にかなっているという安心感を得ることができます。
「悪い子ども」として拒絶される恐れは、いつも心にあります。遊んだり、汚れたり、自由に自分の身体に触れたり、叫んだり、怒ったり、いたずらをしたり、自分を表現したりすることは、子どもの頃に、守らなければならないルールによって抑え込まれてしまいました。「いい子でなければならない」というプレッシャーの中で、自分の気持ちや欲求を押し込めてきたのです。「いい子」を演じたり、口をつぐんだりしている下には、自然に自分を表現できない怖がっている子どもがいます。その子どもは、厳しい基準で縛られています。そして、必死に「認められたい」という気持ちが強まっていきます。
独善的な態度
彼らの戦略の中では、道徳的な重みが大きく、善悪がはっきりと分けられています。「~しなければならない」という考えが、厳しさを生み出し、自分にも他人にも強く求めるようになります。行動のパターンがはっきり決まっていないとイライラします。仕事にせよ、それ以外のグループ活動にせよ、「やるべきこと」の曖昧さに耐えられません。あるSO6は、治療グループで自分がグループの中で最も「規範的な人」だと言われたと報告しています。また、それ以外にも、参加者のうち何人かが指示通りに従わなかったときに憤りを感じたと報告しています。その憤りの正当性について、セラピストから触れられると、彼のイライラは増しました。
決まりごとの存在は、安心感、安定感、そして落ち着きを与えてくれます。客観的で公平な「ルール」がないと、何が正しいのかが分からなくなります。コントロールできないことが増え、人生が予測できなくなり、怖く感じるようになります。何がルールなのか、何が期待される行動なのかを知っていることで得られる力を奪われてしまったようなものです。
「シーシュポスを歩む」、努力に基づく戦略
このキャラクターには、どれほど多くの「燃え尽き症候群」が現れていることでしょう!「努力に基づく戦略」として、彼らは自分に厳しく、自己犠牲や献身的な努力を理想とし、一生懸命働いたり、真面目に勉強したり、計画を守って過ごしたり、「前向きな」または道徳的に「素晴らしい」活動に取り組んだりすることで、自己肯定感を得ようとします。そしてやっと、自分は愛されるに値する存在だと感じることができるのです。多くのSO6は、働くことに神聖さを見出しています。最悪なのは、何もせずにじっとしていることです。ただ怠けているようにしか考えられません。例えば、バスク地方の人々のグループでは、「バスクの人々はとても働き者だ」や「バスク人は非常に勤勉な民族だ」といった、価値観が強く語られることがよくあります。バスク人は独自の文化や言語を持ち、特に「働くこと」を非常に大切にする価値観が根強くあります。そこで、働かないことは「怠け者」と見なされがちです。怠け者であることは、最悪だとされています。SO6の多くは、家庭や学校で、ささやかな楽しみが軽視される経験をしてきました。それと同時に、「それで将来、食べていけるの?」といったメッセージを繰り返し受けてきたのです。
生まれてこのかた、いつも「頑張りすぎている」という感覚が続いていて、漠然とした疲労感を抱えているSO6も多いかもしれません。自分が認められるために、他人のために必要以上に頑張りすぎているのです。ですが、その奥には「自分が生きている意味」や「人生における本当の価値」を求める、もっと根本的で存在的な理由や探求の動機が隠れています。シーシュポスはその石を手放しません。努力を続け、石にしがみ続けます。「解放されてしまう」「何もなくなる」「自分の空虚さに気づいてしまう」ことへの恐怖があるからです。
「正しくあれ」
理論や論理的な枠組みに基づく安心できる場所では、SO6は世界をより理解しやすくなります。人生や人間についての地図のような理論を使って、物事を整理し、安心感を得ることができるのです。多くのSO6が、哲学者や心理学者の本を読んで「攻撃」のような衝撃を受けました。これらの本が、心や宇宙、神についての理解を助けてくれたのです。
「理性」が怪物を作り出します。そして、その理論に基づいて、正しさと間違いを決め、感情を無視してしまいます。多くのSO6は、感情に対してひそかに、そして深く軽蔑している自覚があります。感情は理解できず、制御できないため、それが自己コントロールの欠如として否定的に見なされることになります。自分の中では、何度も自分の粘り強さや自己犠牲、自己コントロールの力にひそかな喜びを感じることがあります。それと同時に、感情的にコントロールできていない表現に対しては、弱さの症状のように思えて、深く軽蔑してしまうこともあります。
感情は痛みを伴うものであり、恐怖を感じさせるものです。悲しみや恐れは弱さや臆病さとして恐れられ、拒絶されます。そして、祝いの喜びでさえも拒まれることがあります。感情を抑えて冷静さを保とうとすることや、感情をコントロールしてバランスを取ろうとすることが、無意識のうちに習慣になっています。そして、理性は「正常」という怪物を生み出します。
父親のような態度
「騎士道的な戦略」では、愛や注意を受け取ることではなく、与えることが大切だと考えられます。これには、心を開き、受け入れ、弱さを見せる必要が伴います。父親のような立場を取り、守るような態度で、知識やアドバイス、信頼を提供することが、SO6にとっては、あらゆる場面で繰り返し行われる戦略となっています。彼らの恐れは、心を開いて受け入れることへの恐怖です。それは、相手に心を開き、信頼し、委ねることを恐れる気持ちです。「自分をさらけ出したら、無防備になってしまうかもしれない」といった不安です。フラストレーションや空虚感、そしてリラックスすることの難しさが押し寄せてきます。この信じて受け入れる姿勢を持つことが、SO6の大きな課題であり、学習体験でもあります。自分に良いことが起こると信じること。他の人が自分にとって最良のことを望んでいると信じること。これが必要なのです。心の奥底で、愛される価値がない子どもが現れます。努力しなければ報われません。これが厳しい「真実」です。痛みを伴う苦しい登りの中で、黙って泣きながら、まるで砂漠の荒地で過ごしているかのように内面で受け入れてきたメッセージです。
何もしないで、ただ受け取ることは、自分の無価値さを感じさせられることです。そうすると、まるで鋭い剣や釘が体に突き刺さるような深い苦しみが襲ってきます。「もし何もしていなければ、誰も私を愛してくれないし、受け入れてもくれない、注目もしてくれません。ただ存在するだけで愛してくれるなど、そんなことは、ただの夢物語です」。愛の中で手放すことを学ぶこと、リラックスして自分をさらけ出し、パートナーに委ねることが、SO6の心の訓練です。身を任せること、信頼することを、少しずつ積み重ねていくことで、無理に大きな成果を求めるのではなく、繊細で小さな人間である自分と向き合うようになるはずです。
自己非難の戦略
SO6は表面的には自制心を保っているように見えますが、内面的には実は脆いため、批判に非常に敏感です。彼らは他人から批判され、自分に欠けている部分があることを突き付けられる衝撃から逃れるために、あえて先に自分から自分を責めることで、精神的に耐えようとします。この自己非難は心のエネルギーを奪い、気分を悪化させますが、それでも「屈辱を感じる不安」からは逃れられます。
過去の屈辱的な記憶を思い出さないように、自分の心を守るために心を閉ざします。批判されるかもしれないという恐れが心と体を支配し、まるで「批判されたら自分が崩壊してしまう」と感じるほどです。癒されないまま残っている過去の屈辱的な体験の傷跡の疼きは、その記憶を思い起こさせ、さらに強い屈辱感に苛まれます。「批判されたら終わりだ」「非難されたら恥ずかしくて耐えられない」。そんな思いに囚われています。
「私ごときが、あなたに受け入れてもらう価値などないと思ってしまいます。それでも、あなたのたった一言が、私の心を癒してくれる気がします」。本物の愛情が持つ軽やかさ、優しさ、柔らかさが、私たちの心に張り巡らされた鎧を一枚一枚そっと外していきます。温かい言葉や、優しいまなざし、共感の行動が、心にこびりついた自己否定を癒していきます。「自分は愛される価値がある」と感じられる瞬間が増えることで、少しずつ心が軽くなっていくのです。
道徳的および知的な優越性と支配
自分を卑下したり、従順になったりすることに対して、彼らは「私は道徳的に、または知的に優れている」と感じることでバランスを取ろうとします。決められたことに無理に従ったり、頑張りすぎたりするうちに、彼らの中で「自分がやった分、何か返してほしい」という気持ちが生まれます。頑張った分だけ、相手に要求する権利があると思うのです。この努力は、彼らに道徳的な支えを与え、「私は正しい」と感じさせることに繋がります。
理論に逃げ込むことで、自分が善悪を超えた場所にいるように感じます。「私は感情や気まぐれになんて流されない。もっと冷静で、真実も知っている。全体を明確に見通せる視点が、私を確かに支えてくれている」と思うようになっていきます。感情的だったり、自分よりも知識が少なかったり、経験が足りなかったりする人々に対して、支配的でコントロール的な立場を取ります。そうした人たちを、自分にとって親しい人や劣っている人だと感じるからです。
深淵から、狂信的な確信を持つ怪物が叫びます。「私は正しい!私は真実を知っている!」そのさらに奥では、心の中に閉じ込められた少年が、一人ぼっちで恐怖に苛まれ、動けなくなっています。絶望と深い不安は、攻撃的だったり、独裁的な反応を引き起こすことがあります。多くのSO6は、政治や宗教的な理想を通じて、理性を欠いた独断的で熱狂的な行動に走ってしまうことがあります。
疎外
タイプ6の「恐怖」を抱えた性格を持つ人々は、社会的な期待に応えようとしてこう考えます。「自分の気持ちや欲求を無視して、あなたが期待する姿を見せようと思います」「あなたが求めるものを意識して行動しようと思います」「あなたの期待通りになりたいと思います」。
つまり、「私はあなたそのものであり、あなたが望む姿に変わりたいと思っています。そうしていくうちに、私はあなたの期待に合わせることになり、気づけば自分を失っていきます」ということです。あるSO6は、こんな風に言ったことがあります。「『お前は父親のようになってはいけない』という言葉を、幼い頃、母から繰り返し言い聞かされました。私は母の関心を引きたくて、父を捨てました」。彼の母親はとても厳しく、愛は常に条件付きでした。「行儀が悪いと愛してもらえない」「母に従わなければならない」など、同じような言葉が何度も繰り返されました。「母は父に対していつも厳しい態度を取っていて、父をほとんど受け入れていませんでした。今振り返ると、私は自分を見失って、母に支配されていたように感じます。今では、父はまるで物語の中の登場人物のようで、現実に存在していた気がしません」。
個人の力は、決まり事に従い、権威に従うことで失われていきます。本当の意味で自分で決める力を失うことで、自由を感じることが怖くなります。SO6は、理想に従うあまり本能を無視し、「自分を捨てて」、まるで自分ではない他人のようになってしまいます。
日常
SO6には、矛盾した傾向が見られます。何かに直面したとき、強くこだわってしまったり、逆に無秩序に振り回されたりすることがあります。SO6は常に不安を感じています。彼らはいつも心配しており、落ち着くことができず、日常生活の中で常に警戒しています。物事がうまくいくことが考えにくく、どこかに問題があるのではないかと感じています。そのような考えに加えて、疑念が常に付きまといます。これは、決断が自分の内面の声からではなく、「正しい選択はどれか」という不安な気持ちから生まれているからです。
SO6は、物事を試行錯誤で進めることができません。間違うことを恐れ、期待に応えられないことを恐れているため、同じ方法を繰り返してしまいます。そのため、先に進むことが難しくなります。
時間恐怖症
SO6は、いつも時間に追い詰められているように感じているかもしれません。日常のちょっとしたことが、重荷に感じられることがあります。そして、現実的な問題(お金や食べ物など)が理想的な考えとぶつかり、常に不安を感じています。時間に対して不安を抱え、時間通りにできるかどうかをいつも心配しています。SO6は時計に隷属しながら生きており、彼らの心の中ではアラームが鳴り響き続けています。
保守志向
お金の使い方には矛盾があります。教育や家族に関する支出は重要視しつつも、同時にお金を使うことに罪悪感を感じ、質素に過ごすことを重視します。貯金は、安全を確保するために大切です。SO6は、不滅の価値を重視します。世俗的なものと高尚なもの、刹那的なものや余剰なものと理想との間に大きな違いを見出し、不滅性や高尚さを尊びます。そのため、「長持ちするもの」や「高品質なもの」(本、学び、旅行、音楽、芸術、家族のニーズ、義務、仕事)には、しばしばお金を惜しまない傾向があります。
あるエニアグラムのワークショップで、一人の参加者が「母親から卒業旅行に行かせてもらえなかった」と話しました。彼は学業成績が良かったのに、クラスで唯一卒業旅行に行かず、家に残っていた生徒でした。「13歳の彼にとって、卒業旅行は無駄な出費に感じられました。義務を超えた特別な成果を挙げたわけでもなかったので」と、彼の母親はタイプ6的な価値観から判断したようです。
形而上学的態度と利己主義に関するタブー
「形而上学的」な考え方や質素さを好む傾向が重なることで、次第に「控えめで禁欲的な生き方」が染みつき、それが日々の小さな我慢や犠牲につながります。多くの場合、自分を自由に表現することが難しくなります。つまり、「自分らしくある権利」を持てなかったり、それを実現するために大きな壁が立ちはだかったりします。その結果、「禁欲的な理想」と、軽薄でつまらないと見なされる現実的な側面がぶつかり合うことになります。食事などの日常的な物事は、身近な人のためでない限り、時にはぞんざいに扱われます。これらの物質的な側面は後回しにされ、価値を軽んじられたり、無視されたりすることが当たり前のようになっています。
規範と模倣
人は周囲のグループや親しい人たちとの関係の中で、日々の習慣を自然と調整し、他人に合わせようとするものです。しかし、SO6の場合、この適応力は、SO6の特徴である「厳格さ」や「節度」を守りつつも、環境に応じて柔軟性を発揮する形で現れます。あるSO6が、こんな話をしてくれました。
「普段は、仕事から帰ってビールを飲んだりワインやおつまみを楽しんだりなんてしません。そんなことは私には必要ないし、なんだか軽薄なことに思えてしまうんです。でも、友達や同僚と一緒にバーに行ったときは、たまに無理してでも彼らに合わせます。何かをお祝いしたいわけではないんです。ただ拒絶されたり、受け入れてもらえなかったり、愛されないのが怖いんです。その場の雰囲気や習慣に適応しようとしているんだと思います」
こうした「他者に合わせる」行動には、実は深い背景があります。タイプ6は、自分の中で価値があると信じるものをとても大切にしますが、それを「日常的な楽しみ」や「現実の些細なこと」から切り離してしまう傾向があります。この「理想化された禁欲的な生き方」の結果、自分の欲求を抑え込み、ささやかな楽しみを「わがまま」や「くだらないこと」として退けるようになります。そして、これが繰り返されると、自分の行動が「自動操縦」になったかのように感じられ、冷たく硬直した節制が日常を支配してしまうのです。この背景には、家庭や育った環境の影響もあります。たとえば、家族から「自分の欲望を抑えるべきだ」と教えられたり、大切な人を失った経験、無意識のうちに抱えた「暗い感情の結びつき」が原因となることもあります。
また、タイプ6は「禁欲的で自己犠牲的」な態度を取ることが多い一方で、親しい人たちに対しては一見矛盾するような「寛大な行動」を取ることもあります。これが、特に親密な関係では「大きな犠牲を払うが、それに見合う満足感を得られない」という不均衡を生むことがあります。こうした関係の背景には、感情が乏しくなる「心の砂漠」や、価値観に対する慢性的な不満が隠れているのです。ギリシャ神話のシーシュポスのように、自分を犠牲にしながらも理想のために動き続ける姿が見られることがあります。たとえば、家族を守ることを第一に考えたり、「自分にとって完璧な存在」を追い求めたりします。しかし、この努力には膨大なエネルギーが必要で、抑圧された愛情や献身がにじみ出ることはあっても、それが心からの喜びにつながることはほとんどありません。
硬直性
権力の領域では、SO6は外部(自分の外の世界)と内部(自分の内面)に対して、慢性的に同じような態度を取ることがよくあります。自分の内面が評価や規範に対する過度のこだわりでいっぱいになると、その結果として、SO6は固くて柔軟性のない姿勢を取るようになります。この姿勢は、自発的に行動したり、自然に感情を表現したりすることを妨げてしまいます。こうして規律を守り、物事を測ることには強いこだわりを持つものの、心の自由が失われた状態になってしまいます。
統一性と秩序
SO6の人々は、「絶対的な力」や「完璧な統一」にひそかな憧れを抱きます。全員が声をそろえ、足並みをそろえ、共通の目標を目指す。そんな調和が彼らにとって理想的な状態です。価値観や基準がすべて統一され、そこには矛盾や疑問が入り込む余地がありません。このような確実性を、彼らは信仰に近いほど強く信じています。
全能感と無力感
SO6の性格にある不安定さは、自分が世界の中でどんな位置にいるのかという不安感と深く関わっています。これが原因で、自分は無力だと感じるときもあれば、逆に自分は全能だと思うこともあります。強いリーダーや高い理想、象徴的な存在に自分の力を委ねることは、そうした不安に対抗し、全能感を追い求めるための行動の一種なのです。
「私にとって、誰かに従うことはとても大切です。特に、権力を持っている人と親しくなることに価値を感じています。今、私は尊敬するクラウディオ・ナランホ博士とフェルナンド・フローレス博士という二人の人物と近しい関係にあります。一人は『存在そのもの』が素晴らしく、もう一人は『行動』において優れています。どちらも私にとって非常に才能があり、素晴らしい人物です。彼らと親しくできることを嬉しく思っています。私には自然と権力を持つ人々と近づける力があると思っていて、そのことに疑問を持ったり、怖くなったりすることはありません。むしろ、彼らのような存在が私を支えてくれるおかげで、安心できるのです」
SO6は、拒絶される可能性に非常に敏感です。そのため、自由に自分を表現することには強い葛藤を感じます。自分の言動がグループやリーダー(上司や教師など)にとって恥ずかしいもの、非難されるもの、あるいは対立を引き起こすものになるのではないかと恐れています。この恐れは、過去の体験に由来することが多いです。家族、教会、学校などの社会的な環境で自由な自己表現が抑圧されるような経験を繰り返し、個性が抑え込まれることに繋がりました。
SO6は、高い道徳的な基準やプレッシャーのために、自分のエネルギーを周りの環境に適応するために費やします。こうすることで、感情的な不満や人間関係の不足を補おうとすることがよくあります。彼らは周囲のルールや基準をよく観察し、それをもとに自分の立場を確認しようとします。このような「~すべき」という内面化された要求や外部規範への従順さには、しばしば「他者(権威やグループ、象徴的な理想)」への服従が暗黙的に含まれています。その結果、SO6は自分自身の重心を失い、不一致や不調和を招くことがあります。ある参加者は、自分の体験について次のように話しました。
「大手コンサルティング会社で働いていたとき、私はよく個人的な問題に悩まされていました。仕事の問題というより、自分自身の問題でした。厳しいルールやイメージを守ること、完璧なスーツを着ること、上司の言う通りに動くこと、ミスを恐れること――それらが重なって、私は次第に自分を見失っていきました。『私は一体何者なのか?ここで何をしているのか?』という問いが頭を離れませんでした。しかし、答えは見つかりませんでした。最終的には、完全に自分を失った気がしました。そして、どんなに魅力的なプロジェクトがあっても、仕事に対する興味がなくなっていきました。なぜなら、私は『人間』ではなくなっていたからです」
自分自身の力を、安心感や保護を与えてくれる人物やグループに委ねることで、SO6は根底にある不安を和らげようとします。これにより、会社やチーム、部族、リーダー、上司への絶対的な忠誠心が生まれます。この姿勢からは、強迫的な規範順守や過剰な要求、批判的態度の抑制が見られます。反抗心や批判的な感情は抑えられることが多く、その結果、自分を否定したり、自分に対して敵対的な気持ちを抱いたりすることがあります。
罪悪感とそれがもたらす破壊
罪悪感は、SO6の日常に深く根付いています。それは、単なる「悪いことをした」という感覚を超えた、原始的で神話的、そして宗教的な「罪」として心に存在しています。この罪悪感は、特に宗教的な教えや厳しいルールによって強められることがよくあります。それは、すべてを見通す全知全能の「神」の視線のようなもので、逃げ場のないプレッシャーを与えます。その視線は、人を罰し、無力感に陥らせ、心を押しつぶしてしまうほどの力を持っています。
ラスコーリニコフ症候群
罪悪感には3つの段階があります。まず、決断を先延ばしにして、いろいろな可能性を頭の中でぐるぐる考え続ける「迷いの反芻」があります。そして、深い不安を抱えながらも思い切った行動に移る「深淵への飛躍」が起きます。その後、行動の結果を振り返りながら、罪を償おうとする「贖罪の帰結」に至ります。「ラスコーリニコフ症候群」という言葉は、小説「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフに由来しています。これは自分が犯した(あるいは想像上の)「罪」に対する「罰」を恐れながらも、それを求めてしまう複雑な心理状態を指します。この症候群は、「罪を償いたい」という強い気持ちが、かえって深刻な苦しみを生むという特徴を持っています。
SO6は、自分の心の中にある葛藤を無理やり理屈で説明しようとします。しかしその結果、現実的な問題と向き合う代わりに、頭の中で抽象的な考えに没頭してしまうことがよくあります。これは、「現実逃避」の一種でもあり、心の負担をさらに大きくしてしまう原因になるのです。
非難の目
自分で選んだことや決めたこと、もっと良くできたはずのことや、達成できたかもしれないことについて、常に非難されているように感じています。自分ができなかったことについても責め立てられるように思い、苦しみます。こうした感覚は、外部からの批判をそのまま受け入れたり、攻撃してくる人と自分自身を無意識に同一視してしまうことから生まれます。彼らは、絶えず自分を追い詰めるような視線に囲まれているように感じ、それが原因で心が縮こまり、慢性的に萎縮してしまいます。
罪悪感中毒
罪悪感に苦しむ時の、一番の問題はその苦しみをどう処理するかです。罪悪感は、感覚として感じたり、感情として味わったり、頭の中で考え続けたりと、繰り返し現れます。それは「過去の出来事へのとらわれ」から「未来への不安」へと移り変わります。ずっと同じところを時間が回っているように感じられるかもしれません。決断をする前から、苦しい気持ちや後悔がわいてきます。「正しいことをしなければならない」という重いプレッシャーがのしかかり、決断の瞬間にもまた、苦悩や後悔がついて回ります。
その結果、どうにも動けなくなったり、衝動的に行動してしまったり、無理やり何かをやろうとしたりします。そこに現れるのが「良心の看守」とでも言うべき存在です。この看守が現れると、罪悪感から逃れられなくなります。そして、重い責任のプレッシャーに耐えきれなくなり、自らを罰しようとする気持ちが何度も湧き上がります。単に「自分らしくいる権利」や「自分の力を表現する権利」を失うだけではありません。もし、その欲求が叶ったとしても、そこには必ず苦しみがついてくるのです。
罪悪感と過剰な良心
内なる良心は、静かに見守る存在ではなく、まるで看守のように振る舞います。それは「意識」というよりも、「過剰な意識」に変貌しました。罪悪感は、不適切な衝動を抑えられなかった時だけでなく、本来やるべき「正しいこと」をできなかった時にも生じます。過剰な意識は、外部からの期待に応える責任の重さを生み出します。それは「期待に応える力がありすぎる」とも言えます。これは、その期待が明確に示されている場合でも、暗黙のものでも、現実のものでも、あるいは頭の中で想像したものであっても同じです。
自由への恐れ
自由を行使することや、自分自身の基準を持つこと、健全な攻撃性を使うこと、自己主張をすることには、後悔や恐れが伴います。規範が深く内面化されているため、そこから外れること(不服従)は、強い罪悪感を引き起こします。「全知全能の神」や「人間の信仰における神々」は、歴史的な背景や神話に基づく罪の概念(楽園からの追放)に影響を受けています。これに加えて、個人の過去や感情、社会的な圧力が、SO6の恐れに絡み合い、さらにその影響を強めているのです。彼らは自由を恐れ、避けます。そして自由が最大のタブーのひとつになります。「不服従」は「排除されること」と同じ意味であり、根源的な苦悩を引き起こすものです。
自由に対する強い恐れから、ほとんどの場合で自由を避け、無意識のうちに隠れた安全策を取るようになります。彼らは自由という大きな可能性よりも、安定した信念や強力なリーダーの指導を求めてしまいます。このような状況では、順応主義が強く働き、集団や信仰、リーダーに身を寄せることで安心しようとするのです。深い不安と不確実性に悩み続け、自分自身や他人を信じることができません。現実や自分の認識を強く疑い、物事を極端に疑います。その結果、信じるべきものを見つけられずに疑念に悩まされ続けたり、あるいは、理想や教義、リーダーシップを過信し、それに頼りきりになることもあります。
セクシュアリティと自分から切り離された身体
自分の身体が、自分のものだという感覚が薄いです。彼らにとって自分の身体は、どこか自分から疎外された、よそよそしい存在です。エネルギーが上手く循環せず、そのせいで活力を失い、身体が硬くなり、心も体も緊張しがちになります。
この疎外感のせいで、身体の感覚が遠ざかり、頭の中の思考に偏るようになります。感覚と切り離されることで、身体がどう感じているのかがよく分からなくなるのです。
結果として、身体は自分から切り離された別の存在のように感じられます。それは時々心地よい信号を送ることもあれば、痛みや不快感を引き起こす、重たくて奇妙なものに感じられたりします。そして時には、理解できない、あるいは怖く感じるメッセージを送り続ける存在として認識されます。
拒絶された感覚
多くのSO6が、母親から性に対する強い拒絶のメッセージを受けたことがあると報告しています。それは、露骨な発言や嫌悪感のある表情、またはもっと微妙な態度として現れます。時には、存在するだけでも「暗く罪深いこと」として見られたこともあったようです。その背後には、心の「影」が潜んでいます。
「私は、自分が再生するような体験をしました。私が生まれたとき、母が『男の子ではない私』を拒んでいる感覚が伝わってきました。それが、子供の頃に母と私を遠ざけた原因のように思えます。そして、このことを本当に理解したのは、つい1年前のことでした」
こうした背景を持つSO6の身体は、活力を失い硬直しています。理性で作られた「合理的な自己像」に支配され、動きはまるでロボットのようにぎこちなくなります。欲望を失ったSO6の身体は、「義務」という名のレールの上を歩いているかのようです。そこにあるのは、献身ではなく、義務感の重みです。こうした身体は、衝動や身体感覚をコントロールされ、活力を失っています。まるで、硬い杭に固定されて動けないようなものです。それでも、無表情のまま、拘束された機械のように空間をさまよっています。
SO6は、生命力や欲望の高まりを避けるために、自分の心を鈍らせたり、考え事で気を紛らわせたりします。しかし、その結果、欲望という「羅針盤」を失い、目的もなく漂流しているような状態になります。環境に適応し、禁欲的な生き方を受け入れることで、自分を忙しくする「過剰な活動」に逃げ込むのです。こうして、楽しみを感じられない人生が出来上がっていきます。
この背景には、古代の神話に出てくるような「罰」が浮かび上がります。また、幼少期における、楽しさを奪う体験が重なっています。遊びや、吸う、這う、排泄することの喜びでさえも、彼らは途中で止められていたのです。そして、文明のルールが「楽しむこと」を抑えつけました。その代わりに、苦しみが称賛され、犠牲が義務とされます。「働くこと」や「汗水を流すこと」が美徳として押し付けられ、生きる理想とされていったのです。
理想を追い求めること、心が安らげる場所を探すこと
SO6に見られる理想主義的な傾向は、彼らの現実を半ば宗教的ともいえる抽象的な理論の世界へと変えてしまいます。母親から十分なケアを受けられなかったことや、父親が家庭から感情的にも物理的にも遠かったことが、この性質の背景にあります。また、「こうあるべき」という理想や義務感が家庭に充満していました。これらが原因で、自分自身を実感できず、内面に空虚さを抱えるようになります。その空虚さは、根本的な不安や無力感と深く結びついています。こうした不安の中で、「心の避難所」が彼らの逃げ場になります。それは、無力感に押しつぶされないための安全な隠れ場所です。
「父は私をよく性的に虐待しましたが、母は私を守ってくれませんでした。母は私を守ってくれるどころか、父を恐れて何も言えませんでした。父のことを母に相談したくても、父が母を傷つけると脅すので話せませんでした。こんな状態が何年も続きました。父は仕事でよく家を空けていましたが、帰ってきたときには攻撃的な態度を取ることが多かったです。私には母がいないわけではありませんが、弱い存在に見え、それが私と母の距離をさらに広げました。私は、父が怒りをぶつけないように良い子でいようと努力しました。それでも、父の知性には心から敬意を抱いていました。この矛盾した感情に、特に思春期は悩まされました」
これは「感情的な荒廃」です。母親からの感情的な支えの欠如と、父親の不在によって生じた心の空虚は、理想や義務感、社会的規範に従うこと、そしてルールを守るという価値観によって埋め合わされています。その結果、日常生活での些細な楽しみや安らぎを感じることができなくなります。生きるエネルギーや感情的なつながりが失われ、「人生の流れ」から切り離されたような感覚に陥ります。身体的な活力も失われ、砂漠のような虚しさに染まった質素な生活を受け入れるようになります。この状態は「諦め」と「その諦めを当然とする態度」に象徴されます。
こうした状況では、感情が乏しくなり、人や物事への愛着も薄れます。生活が単調なルーティンに埋もれ、変化や喜びが失われていきます。彼らは「理想」という岸辺に囚われたまま、日常の喜びを享受することができません。例えるなら、風車に挑むドン・キホーテのようなもので、彼を支えるサンチョのような存在に気づくことも、学ぶこともできないのです。理想と現実をつなぐ橋は、断たれてしまっています。
植民地化された子供時代
SO6自身が語る、彼らの成長の過程は、創造性に対する暴虐で満ちています。大人が子どもたちの自由を奪う権力の乱用は、次第に矯正や過剰適応を強制し、個性や違いを「殺して」しまいます。罪悪感を煽るメッセージや独裁的な行動に満ちた学校は、探求心や自然な表現への欲求を抑えつけてしまいます。
意識の歪み
本来は、明晰で発見的で啓蒙的な美しい光であった意識は、次第に選択とフィルターの厳しい裁判のようになり、愛に満ちた思慮深い観察をやめます。否定的なメッセージが心に浸透し、それが自己迫害を生む原因になります。
この選択は、ニーズや欲望に基づいていません。まず、自分の可能性が狭められ、選択肢が減ります。選ばなければならないのは、「適切なこと」や「当然のこと」だけです。内面での葛藤が迫ります。自己嫌悪を伴う利己主義は、痛みと孤独を生みます。「魂の喪失」と空虚さは、理性や義務、そして理想の神を頼ることへと導きます。自信が失われ、自己の信念や直感に基づく意志が破壊されます。自己否定と内なる敵意が、SO6と人生をつなぐ橋に大きな亀裂を作るのです。
クラウディオ・ナランホ
Naranjo, C. (2012). "27 personajes en busca del ser"
タイプ6ソーシャル ─ 義務
SO6は「プロイセン人気質」と呼べるかもしれません。SO6は冷淡で、非常にフォーマルです。例えば、カントは偉大な哲学者で、プロイセン人でした。プロイセン人は正確さを好み、曖昧さを許しません。これは、温かく曖昧さを許容しすぎるSP6とは正反対です。ナチスには多くのSO6がいました。彼らの行動は目立ちます。「これが方針、党の方針で、誰が善人で誰が悪人かを決めます。そして私たちはそれを効率的に実行します」。効率性において、SO6はタイプ3に似ています。
イチャーソは「義務」という言葉を使いましたが、これは単なる義務感だけではありません。SO6は基準点にこだわり、明確なカテゴリーを好みます。彼らは、北がどこ、南がどこ、東がどこ、そして西がどこかをはっきりと理解しています。もし彼らが人間らしくなりたいなら、まずすべての目印を忘れ、狂気的に固執してきたルールや基準を捨て、本能と直感に頼る必要があります。義務を忘れて、人生とつながることが必要です。
サンドラ・マイトリ
Maitri, S. (2001). "The Spiritual Dimension of the Enneagram"
タイプ6ソーシャル ─ 義務
SO6にとって、社会的役割を忠実に果たすことが唯一大切なことです。彼らは、自分よりも強いと感じる信念やグループ、リーダーに従うことで社会的不安を解消しようとします。そのため、彼らは信念やリーダーに対して忠実であり、柔軟に、時には過剰に従い、協力しようとします。彼らの恐れは、権威に逆らうことや社会規範を破ること、義務を履行できないことに対する不安として現れます。
ベアトリス・チェスナット
タイプ6(ソーシャル)の説明(2021)
Chestnut, B. (2021). "The Enneagram Guide to Waking Up"
このサブタイプは、恐怖を感じたときに、自分が信頼できる権威を見つけ、それに従うことで対処します。彼らは、自分の安全を守るためには、人、システム、またはイデオロギーなど、自分が信じる権威のルールに従うことが最も効果的だと考えています。義務を守ろうとする意識が強く、従順で、責任感があり、効率的に物事を進めようとします。安心感を得るためには、ガイドラインや基準に頼ることが多いです。彼らにとって、不確実性や曖昧さは大きな不安の源となります。このサブタイプの特徴として、恐怖に対する反応が「恐怖症」(恐れを抱く)と「カウンター恐怖症」(恐怖に強さで立ち向かう)の両方を混ぜ合わせたような行動を見せることがあります。また、世界を白か黒か、はっきりと分けて見る傾向があります。
もしこのサブタイプが自分に当てはまるなら、あなたは大きな責任を感じ、他人や集団の面倒を見なければならないと思うことが多いです。権威や大義に対する忠誠心は、安全を求める自己中心的な欲求から来ていることがあります。時には、権威やイデオロギーに過剰に忠実になりすぎることもあります。安心感を得るために何をすべきかを他者や外部に頼りすぎるのではなく、自分自身の判断や信念をもっと信じることが重要です。システムや理想、ルールにこだわりすぎるあまり、自分の感情や直感を無視しがちになることもあります。頭だけでなく、心や直感にも従うことが大切です。
タイプ6(ソーシャル)の説明(2021)
Chestnut, B. (2021). "The Complete Enneagram"
SO6は、不安を感じたときに、抽象的な理論やイデオロギーに頼って恐怖を表現します。ルールを知り、それに従うことで、世界に安全を感じることができます。SP6とは違って、SO6は確信を持ちやすい人です。彼らは不安を感じたときに「確信しすぎる」ことがあります。SO6は、正確性と効率を大切にし、ガイドラインを守ることで安心感を得ようとします。
タイプ6(ソーシャル)の説明(2021)
Chestnut, B. (2021). "The Complete Enneagram"
タイプ6ソーシャル ─ 義務
SX6は、自分自身の直感や欲求を信頼していますが、他者の忠誠心や意図に対して疑念を抱くことがあります。SP6は、他者(外部の構造や権威)を信頼していますが、自己の能力や直感に対する信頼感が欠如しています。そしてSO6は、自分自身への信頼も、他者への信頼も欠いており、恐怖や不安に対処するために抽象的な理性やイデオロギーに頼り、これを基盤にして自分を守ろうとします。
イチャーソがSO6に付けた名前は「義務」です。これは、単に「義務を果たす」という意味ではなく、むしろ「義務とは何か」に注目することを意味します。不安を感じると、SO6は従うべき権威のガイドラインを確認し、それに従います。SO6は、何が基準で、どう行動すべきかを知りたがります。
意識的でも無意識的でも、SO6は権威からの否定を恐れ、権威が決めた「正しいこと」をすることで安全だと信じています。正しいことを知るためには、明確なルールが必要だと考えています。この考え方は、思考を深めることになります。なぜなら、自分の直感や感覚を信じられない時、理詰めで考えるしかないからです。しかし、この「義務感」は、人生をどう生きるかを決める方法にもなります。誰かがルールを与え、それに従うことで、彼らは自分の道を作ります。
SO6は、人生で安全を感じるために権威を求めます。特に、父親のような存在の権威に依存しがちです。実の父親に反発したり、失望したりした経験があったとしても、彼らは代わりに信頼できる「権威」を探し、そこに安心感を見出します。SO6は、権威やそのルールに完全に従うことで世界が安全だと感じるのです。ただし、間違った権威を選んでしまうことが問題になることもあります。ナランホは、「SO6は、正しい人を信じるというよりも『私は正しい』と自信満々で話す人や、そう見せかけるのが上手い人に心を開いてしまうことがある」と指摘しています。
SO6には、恐怖と反発が混ざった特徴が見られます。SP6よりも冷静で、物事を正確に行うことで安全を得られると信じています。予期不安を強く感じ、何事もうまくいかないのではないかと不安になります。だからこそ、彼らはルールを正確に守ることで不安を和らげようとします。心をクリアに保ち、物事が明確なカテゴリーに分かれていることで安心します。SO6は、まさにボーイスカウトやガールスカウトのような人です。グループのルールを守り、規範に従うことを大切にします。
SO6は、SP6よりも強さを感じる性格をしています。確信を持って物事を進める力を持っており、その強さが不安に対する防衛となります。SP6は不安を感じやすく、迷うことが多いですが、SO6は不安を避けるために「確信しすぎる」ことがあります。極端な場合、彼らは「真の信者」や「狂信者」になってしまうこともあります。対抗恐怖症のSX6では恐怖を力に変えることがありますが、SO6では「恐怖ではなく、疑念を克服しようとする」のが特徴です。
SO6は理想主義的で、強い理想を持ち、それに固執することで、世界を理解し、安心を得ようとします。特定のイデオロギーや物事の見方に固執する傾向があります。
曖昧さに囚われていつまでも決断できないSP6とは対照的に、SO6は曖昧さを嫌い、はっきりとした答えを求めます。不確実性が不安に繋がるため、彼らは「正確性」に強いこだわりを持っています。物事をグレーでなく、白黒で見る傾向があります。
SSO6は、法律を非常に重視します。ルールや決まりごと、明確に定義されていて、カテゴライズされていることを好みます。例えば、典型的なドイツ人と聞いて多くの人々がイメージするような人物のように、SO6には正確さや秩序、効率を重んじるという特徴があります。義務を守らなければならないという意識が高く、権威を尊敬します。法律に従い、責任を果たし、ルールや文書、制度を大切にします。また、堅実でしっかりとした行動を好みます。
SO6は間違いを恐れ、確実性を求めます。彼らが求める話し手は、「私は正しい、私は有識者だという強い確信を持っている人物特有の話し方をする人」です。SO6の思考はとても知的で、図やフローチャートなどを使って整理することがよくあります。
SO6はあまり自発的ではなく、決められたルールに従って生活することが多いです。直感や本能で行動するよりも、頭で考えることの方が多いです。社交的な場面では内気になりやすく、何かに感動したり、誰かと心を通わせたりすることが少ないです。また、動物的な本能や自由な性表現に対して、少し不快感を覚えることもあります。
他人に対して支配的、せっかち、批判的になりやすく、また、自己批判的にもなることがあります。自分に対して多くを要求し、すべてが自分の規範や観点に従って進行すべきだという考えを持つこともあります。そのため、冷たく、形式的な人だと思われることもあります。
SO6はタイプ1、特に自己保存型(SP1)と多くの共通点が見られます。SO6はタイプ1と同様に、ルールに従い、抑制的で批判的、勤勉で、時間に正確で、責任感があります。ただし、両者には相違点もあります。タイプ1が自分の内なる基準によって自信を持って行動するのに対し、SO6は間違いを犯すことを恐れ、外部の権威とトラブルになることを避けようとする点で異なっています。
また、SP6は正確さや効率性を重んじる点で、タイプ3に似ていることもあります。しかし、このタイプ6の主な動機は不安を避けることです。彼らは安心するために権威を見つけたいのです。タイプ3のように、目標を達成し、効率性を通じて自分をよく見せようとすることを主な動機にしているわけではありません。
SO6のA.H.はこう語ります。
大人になってから見つけた物事の指針のおかげで、私の人生には転機が訪れました。30歳のとき、ケン・ウィルバーの考え方に出会い、すべてがようやく腑に落ちた感覚を得たことで、心がスッと晴れ、安らぎを感じました。同じようなことが数年前にもありました。そのとき、自分の体脂肪率が25%近いことに衝撃を受け、どうすれば改善できるのかをすぐに調べました。そして、信頼できそうな食事法と運動法を見つけ、それに取り組むことにしました。この2つに共通していたのは、ただルールを守ることではなく、そのルールが私に目的と安心感を与えてくれたという点です。
これと同時に、私は身体的安全性を守るためのルールを持っており、他の人がそれに従わないとイライラします。例えば、妻が息子を抱いてドアを通る時に、何度も「頭に気をつけて!」と言ったことがあります。そんな状況になると、私は危険を察知し、警戒態勢になります。危険を感じるだけでなく、他の人がその危険を避けるためのルールを守っていないことにも気づきます。こういう時、普段の冷静さを失い、厳しくなったり、冷たくなったりすることがあります。
悪徳から美徳へ至る道においてSO6が取り組まなければならない具体的な課題
SO6は、恐怖から勇気に変わるために、義務について考えるのをやめ、もっと本能や直感、そして人生そのものと繋がる必要があります。もしあなたがSO6なら、知識だけで、頭だけで生きることには限界があると気づいてください。それだけでは充実した生き方を知ることはできないからです。時には、すべてのルールや基準を忘れて少し自由になりましょう。自分の思考体系に縛られず、自分の義務や「正しいこと」の概念を手放し、自分の力で決められるようになることが、勇気を持つための第一歩です。あなたが頼っているイデオロギーや合理性、あるいは人格的な権威が、実はあなたの支えや親代わりの役割を果たしていることに気づいてください。それらを手放し、自分の力を信じることに挑戦してください。あなたには、ひょっとしたら昔、失望を感じてしまった父親のような存在が心の中にいるかもしれません。その失望を埋め合わせられるような父親的存在を求めて、今もさまよっているかもしれません。それでももう、あなたは父親の幻影から解放されていいのです。権威に依存するのではなく、もっと自分の本能に従って行動する勇気を持ってください。義務ではなく喜びを追い求めてください。あなた自身の力と、あなた自身の満足感をもっと大切にしてあげてください。それが、あらゆる面であなたの可能性を花開かせるための正しい道なのです。
ハイキ
The Haiki Enneagram Website
ソーシャル6:義務
SO6を端的に一言でまとめるなら「義務」あるいは「完璧な兵士」という言葉がふさわしいでしょう。彼らは非常に規律正しく、従順です。曖昧さを嫌い、物事をはっきりさせることを求めます。例えば、北はどちらか、何をすべきかの手順が明確であれば、安心して落ち着くことができます。強い道徳観を持ち、やるべきことをきちんとこなします。何が良いことか、何が悪いことかをはっきり知ることを非常に重視し、自分で判断できないときは、誰かに確認してもらおうとします。
この点ではタイプ1と似ていますが、一方でタイプ1とは異なる部分もあります。タイプ1も正しいことをしなければならないと感じますが、タイプ1はタイプ6とは違って外部の確認を求めません。すでに正しいことがわかっているからです。SO6もタイプ1も非常に正確に物事をこなすという点では似ています。また、SO6は効率を重視する傾向があるため、タイプ3に似ている部分もあります。そして、SO6もタイプ1もどちらも本能を抑える傾向があります。七つの大罪も、内なる「動物」のような本能も、厳重に閉じ込めて表に出てこないようにしたいのです。彼らのこうした性質が原因で、本能的な側面を忘れがちになり、長期的には自身に害を及ぼすこともあります。人は誰しも崇高とは言えないニーズを持っており、非常に日常的で、くだらなく感じるニーズを持っていることも、生きている以上は当たり前のことです。その当たり前を無視しても、誰の役にも立ちません。表面的にはSO6とタイプ1は似ていますが、SO6はいつでも「良い兵士」であり続け、タイプ1は自分の基準で動きます。
SO6はきちんと規範に従い、他人にもそれを守ってほしいと考えます。もし守らない人がいたら批判します。そして、守らない人が罰を受けることになったとしたら、それは良いことだと感じます。このサブタイプの人は、もしも指導や指揮を取らなければならなくなった時に、タイプの不健全な現れが出ると、暴君のようになることもあります。グループのイデオロギーを死ぬまで守ろうとするかもしれません。冷徹で、ずる賢い人になることもあります。自分の優しく柔らかい一面を見せる関係を恐れ、より本能的な側面を抑えてしまうことがあります。物事がコントロールできなくなることを恐れ、問題が起きないように過剰に心配することで、ストレスをため込んでいきます。SO6は理性的でありたいという意識が非常に強いため、怒りを感じても表に出さずに飲み込んで隠してしまうことが多いです。
カルメン・デュラン、アントニオ・カタラン
Durán, C. and Catalán, A. (2009). "Los engaños del carácter y sus antídotos"
SO6: 義務 ⇒ 秩序
SO6の義務は、「義務」というよりも歪んだ責任感に近いものです。安心感や物事の進め方をもたらし、内部の混乱からくる不安を整理するために、彼らは「秩序」を必要としています。自分の内面だけでなく、外界の混乱にも不安を感じるため、何かしらの秩序を見つけて、その不安を和らげようとします。「秩序」は恐怖を硬直した形に変え、厳しさをもたらします。ナランホはこのサブタイプを「プロイセン的」と呼んでいます。SO6が持つ「強い責任感」は、間違うことへの恐れや、内なる批評家、外部の権威による罰への恐れに関連しています。硬直しすぎた義務感の結果、かえって反抗的な行動や、秩序を破る行動を見せることもあります。
ラ・ミラダ・リブレ
Psychology of Ennea-types Volumes by Claudio Naranjo Interpreted by La Mirada Libre
SO6:義務
SO6は、恐怖症と対抗恐怖症が混ざったタイプです。タイプ1にとても似ていますが、SO6は「自分を完璧にすること」ではなく、「ルールをしっかり守ること」(強く根付いた義務感によるもの)を重視して行動します。
彼らは周りのルールや決まりをきちんと守る人物になることで、グループの中で安心感を得ようとします。しかし、この考え方はしばしば極端になり、狂信的になることがあります。たとえば、ナチスの絶滅収容所への移送を担当したアドルフ・アイヒマンは、SO6でした。
SO6は周りから認められたい、価値を感じたいと考えて、力を求めますが、その一方で、誰かに従いたい気持ちともぶつかっています。規則や集団に従いながらも、権威を恐れるため、心の中で常に緊張を抱えています。その結果、態度が固くなったり、不安を感じ続けたりします。
冷徹に感じられるほどきっちりしていて、正確さを重んじており、曖昧なことが苦手です。SO6の義務感は神経質なほど強いですが、これは絶えず心配に苛まれているために生じる傾向です。明確なカテゴリーを持った立法者のような考え方を好みます。
SO6は真面目で責任感の強い人々で、親しみやすさの仮面をかぶり、自分に期待されることや規範に従うことに執着しています。理想主義的で、神の意志を示してくれるようなリーダー、つまり自分が従うべきリーダーを強く求めています。彼らの従属は、リーダーの力になります。そして、リーダーの力になれることは、彼らのナルシシズムを強く満たします。
このことを理解するためには、多くのナチスの指導者たちが、どうやって法廷で自分を弁解しようとしたのかが参考になります。彼らは自分たちが正しいことをしていると信じていて、「命令に従っただけだ」と弁解しました。これらすべての背後には、不安や疑い、罪悪感から解放されて落ち着きたいという気持ちがあります。
特にSO6におすすめしたい本は、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」です。
自己拒絶や自己迫害の感情、そして自分が「あるべき姿でない」として自分自身に対する憎しみを抱いていることがあります。これらの感情は、自分が「理想的な自分でない」と感じることから生まれます。彼らは他の人に自分が何をすべきか教えてくれるよう頼み、権威に頼ることで自分の行動の結果から逃れようとします。
通常、落ち着いた外見をしていますが、その裏には非常に強い内面的な恐怖があります。精神的に困難な状況や不安から逃げたり回避したりする傾向がある、心の中で問題から「距離を取る」ことを重視するサブタイプです。
ドン・リソ、ラス・ハドソン
Don Riso and Russ Hudson (1999),The Wisdom of the Enneagram: The Complete Guide to Psychological and Spiritual Growth for the Nine Personality Types
タイプ6(ソーシャル)
支援を求めることが多いSO6は、健全な状態では友人や味方から安心感と支援を得ることで不安に対処します。彼らは親しみやすさを見せ、他の人と仲良くなろうとし、温かさやユーモアで相手の警戒心を解こうとします。よく自分を笑い飛ばしながら、他の人に支援や愛情を与えます。そのため、時にはタイプ2と間違えられることもあります。SO6は自分が周囲にうまく溶け込むことを最も気にします(「数は安全です」)。かなり理想主義的であり、自分より大きな何か(例:目的、企業、運動、グループ)の一員であることに満足感を得ます。そして、その一員でいるために大きな犠牲を払うこともあります。
ルールや手順に従う点ではタイプ1に似ていることもあります。彼らは約束や義務、契約により安心感を得ようとします。自分の努力が搾取されないように、確実性を求めています。不安が増すと、同じ考えを持つ人たちが助け合う安全な場所を求めます(例えば、相互支援グループのような場所)。
他の人や自分のグループのために大きな努力はできる一方で、自分自身の成功や成長のために努力するのは難しいことがよくあります。不安な気持ちから、何かを決める前に周りの人たちの意見を確認しようとすることがあります。また、他の人がどう反応するかを考えたりすることもあります。自分の決断力のなさに悩み、それが仲間や権威に頼ることに対する迷いに繋がることがあります。グループや権威からの支援を失うことを恐れていますが、それと同時にその支配に対して不満も感じています。フラストレーションを感じると、権威や友人に対して受動的攻撃的な態度を取ることがあります。ストレスがかかると、すぐにプレッシャーを感じたり、仕事が多すぎるように感じたり、自分が評価されていないと感じやすくなります。このような時、SO6はネガティブで悲観的になりがちです。
不健全な段階のSO6は、過激な信念や運動、グループに惹かれることがあります。「私たち 対 世界」といった考え方に陥り、周りが自分たちを敵視していると感じることがあります(この点は不健全なタイプ8に似ています)。自分の信じていることを疑うことなく(この場合、たとえ他の人がそれに疑問を持っていても)、特定の権威には従順ですが、自分の考えと合わない権威には病的なほど疑り深くなります。