edit

エニアグラム タイプ7:自己保存(SP7)

2025年3月14日金曜日

SP エニアグラム サブタイプ タイプ7 生得本能

エニアグラム・生得本能(本能のサブタイプ)サブタイプ別の詳細な特徴、海外書籍情報の翻訳・まとめ

タイプ7:自己保存(SP7)の詳細

生得本能・自己保存におけるタイプ7の「暴食」

SP7における「暴食(Gluttony)」は、この言葉の文字通りの意味に最も近いものです。SP7の「暴食」の情念は、生存を保証しそうなあらゆるものへの飢えとして現れます。それはアイデア、計画、理論、経験など、多岐にわたります。このため、彼らは同盟を結び、有利な状況を作り出す機会を求め、親しみやつながりを感じる相手と協力し合います。彼らは生存と満足を確実にする可能性に常に目を光らせており、そのため同じ関心を持つ者と結束する必要があります。快楽を求める気持ちが強いため、タイプ7の中でも最も衝動的かつ身体的であり、欲しいものを衝動的に追い求め、しばしばそれを手に入れます。

イチャーソはSP7を「防衛者」と呼びました。これは、似た関心を持つ者同士と結束しようとする欲求を指し、この包摂への情念が相互保護の関係へとつながることを意味します。ナランホは、自己保存的な「暴食」を持つ者を、人生の良きもの——母性的な愛、家庭の温もり、お金、セックス——を求める人々とし、これらすべてが包摂への情念の文脈の中で追求されると述べました。

特性の構造

Naranjo, C. (2018). "La pereza psicoespiritual" (Translated by star_shine)

以下の「特性の構造」は、タイプ7に関する書籍『Golosos, tramposos, soñadores y charlatanes(食いしん坊、詐欺師、夢想家、そしてペテン師)』の記述を要約したものです。この書籍は、クラウディオ・ナランホの熱心な弟子たちによって執筆されましたが、ナランホの名義で出版され、彼の監修を受けています。

享楽主義者

快楽主義に生きる者として、SP7は気分よく過ごし、物事が順調だと感じる傾向があります。また、自分や周囲の人々が心地よく過ごせる環境を求めます。彼らの外見は通常、洗練されていて、エリート的でありながら親しみやすく、礼儀正しいものです。そして、その整った印象や振る舞いが、彼らの魅力を高める要因となっています。彼らは、自分が「良い人生」だと考えるものへ他者を引き込みたがり、一緒に楽しんでほしいと願います。これは、彼らの最も魅力的な側面であると同時に、ナルシスティックなイメージを維持するための手段でもあります。

皮肉屋で、冷笑的で、辛辣

SP7は、通常、素晴らしいユーモアのセンスを持っています。彼らはほぼあらゆることに対して陽気に笑い、聖域なしにすべてを笑いの対象にします。ただし、彼らのユーモアはしばしば相手を見下し、自分を上に置くための手段として用いられます。これは明らかにナルシシズムの表れです。

彼らは不遜で尊大であり、知的に攻撃的です。そして、そのような形で怒りを表現します。身体的な攻撃性を抑えている彼らにとって、こうした知的な攻撃性は代替手段として機能することが多いのです。SP7は言葉によって的確に相手の痛いところを突くことができます。また、自分自身を笑いの対象にする術も心得ており、そうすることで自分の真の感情から距離を取っています。

しかし何よりも、彼らは他人を恐れていないため、他人を真剣に受け止めることがありません。語源的に、「皮肉(irony)」はごまかしや、とぼけることに、「冷笑(cynicism)」は犬のように振る舞うことに、「辛辣(sarcasm)」は肉を切り裂き、噛みちぎることに由来しています。これらすべては、巧妙に隠されたサディスティックな傾向と、親しげに振る舞いながらも他者を虐げる性質を示しています。

苦しみへの恐れ

SP7のマントラ(座右の銘、信条、人生の基本方針)は、「何よりもまず第一に、不快を避けること」かもしれません。ここには、苦しみに直面したときにそれを麻酔のように和らげる振る舞いが含まれています。つまり、人生の過酷さや厳しい現実から意識的に切り離されることで、「幼少期の楽園」が失われていないという幻想を維持しようとするのです。SP7は苦しみを「知性のない人々」のものとして軽蔑します。しかしその根底には、幼少期に味わった貧窮、つまり自己保存本能が強く脅かされた状況へと逆戻りすることへの恐れが隠されています。

特権意識

SP7のナルシシズムの延長線上に「特権意識」があります。これは、自分には特別な才能や魅力があるため、特別な権利があるという感覚です。この特権意識は、露骨に表れるというよりも、より微妙な形で現れます。恋愛におけるタイプ7の態度は、自分が重要な存在であることを当然視し、他者を支配したり指導する権威的な役割を求める人々とは異なります。SP7の自己重要感はもっと控えめな形で表れます。彼らは他者を従わせることを期待するのではなく、自分の話を聞いてもらい、「物事をよく知っている人物」として認められることを求めています。例えば、男性のSP7であれば、女性に「自分の話を聞く聴衆」であることを期待するかもしれません。父親が息子に対して持つ態度もこれに似ています。この「雄弁家」が持つ「話を聞いてもらいたい」という欲求と相関しているのが、「他者の話を聞くことができない」という特性です。しかしSP7自身は、この点に気付いていないかもしれません。なぜなら、彼らはいかにも相手の話を注意深く聞いているかのような「表情」を見せながら、大きな共感を相手に提供できるからです。

満たされない欲求と嫉妬

SP7の根本的な二極性は、貪欲で満たされることのない欲求を抱える一方で、内面には「欠乏への恐れ」が潜んでおり、それを意識の上では否認していることです。

タイプ7の口先の楽観主義とは矛盾しているように見えますが、SP7はしばしば自分を他人と比較し、無意識のうちに嫉妬を感じる傾向があります。比較は苦しみを生みます。そして、タイプ4とは異なり、タイプ7は嫉妬を「飽くなき欲望」へと変換し、過剰補償してしまう強い傾向があります。しかし、その背景には「欠乏感」や「劣等感」が常に存在します。この感覚は、幼少期に「排除された」または「不利な立場にあった」と感じた経験に由来している可能性があります。このことが、彼らの対人関係における貪欲さや、世界に対して攻撃的な態度を取る理由を説明しています。彼らは人生のスタート地点が不利だったと感じており、「追いつくために、あるいは勝つために、もっと多くを手に入れなければならない」と自分に言い聞かせているのです。

過剰さと攻撃性

自分を評価し、他者と比較する過程は、ストレスや苦悩を引き起こし、強迫的な行動やあらゆる種類の過剰さを生み出します。「極端にケチな人が、自分にとって貴重なものを絶対に手放そうとしないように、貪欲な人は欠乏の恐れに直面すると、逆に過剰さに走ることでそれを紛らわそうとする」のです。過剰さは集中力の分散を招き、結果として尽きることのない問題の源となります。

貪欲さが増せば増すほど、比較への執着が強まり、それに伴って飽くなき欲望の感覚も高まります。このフィードバックループが、SP7がよく経験する躁状態と抑うつ状態の繰り返しを生み出す要因となっています。

タイプ7には、一定の攻撃性や所有欲、さらには強引に獲得しようとする傾向が見られることがあり、そのためタイプ8と混同されることもあります。これらの傾向は、彼らの基本的な気質、すなわちナルシシズムや衝動性、熟考する前に行動する性質、すべてを賭けることを一種の芸術のように捉える姿勢に結びついています。さらに、彼らの態度は一般に対抗恐怖的であり、時には反社会的な側面すら持つことがあります

功利的な戦略家

権力者の良き友であり、優れたプロパガンダの担い手であり、非常に鋭敏な計画家であり戦略家でもあるSP7は、自分を助けるだけでなく、成功を後押しし、計画やアイデアを実現できる能力を持つ人々に囲まれる傾向があります。彼の功利主義は人間関係において顕著に表れ、友情は「自分の計画や利益に役立つ場合、あるいは相手が十分に魅力的(単なる外見の魅力ではなく、興味を引く要素を持っているという意味で)であると感じた場合にのみ育む価値があるもの」と考えています。

彼らは通常、情報を扱い、戦略や戦術を駆使して、自らを快適な立場に置こうとします。直接的に何かを要求することなく、そして何よりも他者に頼らずに、自分の望むものを手に入れる方法を模索します。また、自分の責任を軽くすることに長けており、他者に責任を押し付けることで、より素早く快楽を得ることができます。

焦燥感と退屈

SP7は、退屈に対して生まれつき耐性がなく、不寛容です。日常生活やルーチンに対する「アレルギー」を持ち、日常の中にある楽しみを味わうことよりも、絶え間ない刺激や新しい、あるいは非日常的な体験を求めます。その背景には、人生に潤いをもたらす感情とつながることが苦手であるという特性が潜んでいます。

義務や責任が生じると、回避や放棄の傾向が強まり、否定的な態度を示します。彼らにとって重要なのは、一刻も早く快楽と自由の感覚へと立ち戻ることです。また、人生の自然な流れと調和することが苦手であり、意識的にも無意識的にも、それを避けようとします。彼らの「計画的な自我」は、今この瞬間にあるものと向き合わず、感情を感じないようにするために、常に物事を強引に、加速的に進めようとします。欲求不満を耐え抜くことが難しく、感情を受け入れる余裕がありません。ここでは、即時性や常に前へ急ごうとする姿勢(自然なリズムとの不調和)が、苦悩やその他の不快な感情と接触することを避けるための手段になっています。

従うことを嫌う、反抗的

SP7は、制約を受け入れることは苦痛を伴うと感じます。彼らにとって、権威が正当であるためには、その理由や論理が明確でなければなりません。そして、それができない権威は、もはや権威としての価値を持ちません。内面では、権威を見下し、正当性を否定し、反抗する傾向があります。ここには根本的な認知の歪みがあります。それは、「他者の権威を受け入れることは、私の個人的な自律性(自己決定権や独立性)を損なう」という考えです。

SP7には、自らを「反逆者」として演出するナルシシズム的な傾向があります。しかし、権威との直接的な対立は避けようとするため、うまくかわすか、取り入ることで対立を回避し、矛盾する状況に陥らないようにします。

規律を守ることが苦手で、先延ばしの傾向があるのは、反抗心や権威への抵抗と深く結びついています。その背景には、幼少期に父親の権威を否定した経験があり、それがすべての権威に対する否定的な態度の原動力となっています。彼らは権威を常に「抑圧的」または「支配的」なものとして認識しがちです。さらに、自己批判の能力が限られているため、過ちを認めたり、他者の批判を受け入れたりすることが難しい傾向があります。これらの特徴は、攻撃性と回避傾向の両方を持つことで、さらに強化されます。

自己中心的で個人主義的

SP7にとって、最優先事項は自分の欲求を満たすことです。他人は自分の都合やスケジュールに合わせるべきだと感じています。SP7のナルシシズムは、他者を手段として扱うことと深く結びついています。

彼らは配偶者を、一人の独立した存在としてではなく、自分の目的や利益のための手段として見なしがちです。特に夫婦関係において、相手が自分とは異なる関心や欲求を持つ個人であることを認識するのが難しい傾向があります。また、自分の信頼する狭い人間関係の外にいる人々に対しては、計画の妨げや制約の要因と見なすことがあり、場合によっては意識の中にすら存在しないこともあります

彼らの内面には、強い自己保存の欲求があります(これは単なる生存本能にとどまらず、心理的・経済的・社会的な安定への欲求も含みます)。「自分はすべてを一人で対処できるし、誰の助けも必要ない」という誤った信念が、この態度をさらに強化します。さらに、周囲への影響を考慮せず、目先の快楽を優先する傾向もあります。また、感情をさらけ出すことによって、自分がただの群れの一員になり、独立性を失い、「特別」や「ユニーク」でなくなってしまうのではないかという極端な恐れを抱いています。

腐敗しやすい

「腐敗」という言葉は強すぎると感じる人もいるかもしれませんが、SP7にはこの言葉が当てはまると筆者は考えています。もちろん、「腐敗」という表現を和らげ、「法的な抜け道を探す傾向」や「法律を遵守するのではなく、一つの指針として解釈する傾向」と言い換えることもできます。こうした態度の背景には、すべてのタイプ7に共通する人生に対する軽い姿勢、特にSP7に特有の価値観があります。

「もし何も信じておらず、権威は無意味で、制度は腐敗していると考えるなら、人は自分にとって最善の行動を取るべきです。そして、そう考える人が増えれば、社会は機能しなくなるでしょう。かつて、ソクラテスは逃亡する機会を与えられたとき、民主主義の理想を支持する模範として自らの命を捧げる道を選びました。それは、『民衆は自らを統治できる』という信念を強めるためであり、たとえ制度に問題があったとしても、最終的には知恵が優位に立つ仕組みが作られると信じていたからです。しかし、現代では、その姿勢はほとんど見られなくなってしまいました」

では、もしSP7がソクラテスの立場にいたら、どうしたでしょうか?

欺瞞と詐術

SP7は、目的を達成するために利用可能なあらゆる手段を駆使します。それには言葉も行動も含まれます。最もよく使われる手段には、嘘、盗み、欺き、混乱させること、策略が含まれます。

SP7には独自の道徳観があり、行動の善悪は利益によって決まります。言い換えれば、特定の目的を達成するためにどのような手段を使うかには、あまり注意を払いません。そのためには、自己陶酔、独自の法則、善悪に関する個人的な解釈が必要になります。そして、これらは彼ら自身の法則であるため、罪悪感を抱かなくて済むよう、その時々の欲望に応じて簡単に変えることができます。加えて、SP7は、自分のものでない功績を横取りする能力に長けており、強い主役願望を持っています。また、他者に自分の意見を押し付けることも頻繁にあり、特に知的分野では誇大妄想や虚構的な虚言癖(事実を大げさに語ったり、実際にはないことを本当のように語る癖)が見られます。

SP7は、自分が欲しいものを、直接求めることなく手に入れることに長けています。彼らの基本的な考えは、「欲しいものは頼んで手に入れるものではない」です。代わりに、奪う、欺く、投機的な手段を用いることで手に入れようとします。他人に何かをお願いするという行為は、自分を脆弱な立場に置き、痛みやフラストレーションを招くものだと信じています。また、彼らには他者への配慮が欠ける傾向があります。この背景には、幼少期に経験した孤独、孤立、放置、そして生存のための闘いが影響しています。

スキゾイド的な倹約 vs. 魅惑的な浪費

時に、SP7は、タイプ5の貪欲に近いほどの倹約ぶりを見せます。生活全般においてコストと利益を常に計算しており、経済の管理に長けています。お金を非常に重要視しており、経済的な困難に直面すると、ひどく動揺します。しかし、支出には慎重な一方で、投資や「ビジネス」と称する行動には積極的であり、時に誇大妄想的な傾向を見せることもあります。彼らの実用的な感覚はすべてに浸透しており、人生を複雑にしたくないという思いから、不快感をもたらす可能性のあるものを避けようとします。この背景には、物質的な不足や貧困に対する強い恐れが存在しています。

一方で、自分の欲望の対象を追い求める躁的な状態に入ると、それまでの節制はすべて崩れ去ります。そのとき、彼らは惜しげもなく浪費し、抑制が効かなくなります。何もかもが足りなく感じられ、自分の欲望の対象に到達するまで止まることができません。この行動もまた、彼らの双極的な傾向と深く結びついています。

乾いた心

強烈な精神生活は、身体感覚の希薄化と、記号的な自己の具現化を引き起こします。これにより、身体的・感情的な解離が生じ、人生そのものが言葉や理論と混同されることになります。痛みに鈍感であることは、感情の受容性も低下させます。脆弱性への強い恐れが、他者や感情的な影響を受け入れる能力を損なわせています。過剰な興奮や思考と言葉の騒がしさの背後には、凍りついた感情世界と、核心にある冷たさの感覚が存在しています。そしてその背景には、この性格のスキゾイド的な起源が見え隠れしています。同時に、愛を称賛することや、創造に対する自然な驚きの欠如が、状況をさらに複雑にしています。その結果、SP7の態度は、他のタイプ7のサブタイプに比べて、より偽りの社交性を持つか、あるいは反社会的な態度をとる傾向があります。

時には、仕事に没頭し、まるで労働者のように働き続けることもありますが、これは彼らの躁状態または抑うつ状態によって左右されます。過度な労働の後、しばしば体調を崩したり、抑うつ状態に陥ったり、神経衰弱に至ることがあります。また、人間関係に対する信頼感が乏しいため、深い絆を築くには非常に長い時間がかかります(それを望んだ場合に限ります)。恋愛関係は、最初は強い魅力による惹きつけから始まるものの、その後、急速に感情の冷たさへと変化するため、相手の忍耐力が試されることになります。

疑い深く、信頼を持ちにくい

SP7は、人生の流れそのものに対して不信感を抱いています。すべてを疑問視し、人生に対してある種の怒りを持っていますが、それを表に出すことはあまりありません。この根底には、「献身的な愛を持つこと」や「他者をきちんと認識すること」に対する性格的な難しさがあります。「他人は信頼できない」「人々は不完全である」という感覚はタイプ1と似ていますが、タイプ1のように他者を修正しようとするのではなく、SP7は独自の世界に閉じこもる傾向があります。彼らは、家族や、人とつながるためのネットワークの感覚を頼りにしながらも、それを人生の混沌に対する防壁として利用し、「快楽を求め続けること」こそが唯一の逃げ道だと考えます。

さらに、自己中心的であり、広い意味でのコミュニティ意識を持たない人物であれば、不信感を抱くのは当然の成り行きです。彼らは、誰もが自分と同じように考え、行動し、この世には本当に価値のある規則など存在しないと思い込んでいます。そのため、他者もまた同じように規則を軽視していると考え、警戒心を強めるのです。しかし、彼らが一時的に躁的な快楽追求の傾向から離れると、ニヒリズム的な側面が浮かび上がります。誇張された自己イメージがしぼみ、スキゾイド的な傾向がより明確になります。そして、人生そのものへの不信感がさらに強まり、この世には本当に信用できるものが何もないという思いが、一層深まるのです。

頑固で現実的

すべてのタイプ7は先延ばしがちですが、SP7は特に、胆力・意志・怒りを糧にして障害を乗り越え、逆境にも立ち向かう粘り強さを発揮します。その根底には、「自分ならなんでもできる」という非合理的な信念があります。

効率を重視し、最小限の努力で最大の報酬を得ることに強くこだわります。精神的な敏捷性と戦略的思考が、それを可能にしています。

SP7にとっての戦いは、精神的な活動と身体的な行動の両面を持っています。彼らは状況を自分でコントロールできていると感じることを求めます。この感覚は自己愛を強化すると同時に、不安を発散させる役割も果たします。

SP7の粘り強さは、身体的・感情的なニーズへの鈍感さにつながることがあります。また、自己保存の本能に根ざした現実的な価値観を持ち、タイプ7の中でも特に懐疑的で、物質的・実利的な側面を重視する傾向が強いです。こうした価値観は、彼らの功利的な思考や、社会的な利害関係への適応と結びついています。彼らは理想主義者として振る舞うことはなく、むしろ理想に失望した人間として生きています。疑似的な理想主義者、あるいは反理想主義者とも言えます。幼少期に経験した欠乏状態の再来を避けるため、自己管理と計画性を重視し、そうすることで自己保存の脅威を打ち消そうとするのです。

クラウディオ・ナランホ

Naranjo, C. (2012). "27 personajes en busca del ser"

エニアグラム タイプ7 保存 (自己保存) ─ ファミリー

SX7やSO7と比較すると、SP7はタイプ7らしさがわかりにくいことが多いです。イチャーソはSP7のことを「城の防衛者」と表現しました。彼はまた、SP5に対しても「城」という言葉を使っていますが、私(ナランホ)はSP5には「避難所」や「巣穴」の方がふさわしいと感じています。しかし、「城の防衛者」という表現にはどのような意味があるのでしょうか?

SP7は人と同盟を結ぶことに長けています。「ファミリー」という言葉も代替的に使えますが、ここでいう「ファミリー」は、通常の「家族」という言葉が持つ温かみのある意味合いとは異なります。これは生活の一側面を表す言葉であり、自己保存本能に基づく独自の関係構築の形です。心理学における「心理ゲーム」の概念を踏まえると、SP7は次のような思考をもとに関係を築くことがあります。「私はあなたの家族のような存在だから、あなたも私にとって家族であるべきだ」「お互いに助け合おう、私はあなたに尽くし、あなたも私に尽くすべきだ」「一緒に強固な結束を築こう」。

SP7の行動には狡猾さがあり、裏取引や身内びいきといった要素が見られることがあります。そこには明確な「自分さえ得をすればいい」という利己的な動機が潜んでいますが、表向きにはそれを否定するように振る舞います。すべてのエゴには、「自分にはエゴなどない」と見せかけるカモフラージュの要素が含まれています。そのため、自己理解を深める手段としての「告白」は非常に興味深いものです。特に公の場での告白は、自分が何を隠してきたのかを明らかにし、「それでもなお自分であり続けることができる」と実感する機会を提供します。

このように、SP7は本質的に「機会を逃さず利益を追求する人物」です。常に自己保存に対する脅威を感じ、それを補償しようとします。そのため、タイプ7の「貪欲さ」は、この場合「有利な取引を通じてリスクを回避しようとする過剰な意識」として表れます。

私の友人に、かつて歯医者をしていた人物がいました。一見すると、親切で社交的でおしゃべりな人でした。どうやら、患者の口がふさがっている間に好きなだけ話せるのが楽しいという理由で、この職業を好む人もいるようです。あなたも、おしゃべりな歯医者に出会ったことがあるかもしれません。彼らは無意識のうちにそうしているのですが、それがSP7の特徴のひとつです。彼らは手を動かし、実用的なことをするのが好きで、他人の役に立つことに喜びを感じます

会話を続けるうちに、SP7は相手の弱点を素早く見抜きます。たとえば、歯医者は患者にこう尋ねるでしょう。「あなたが買った新しい車の調子はどうですか?」。患者が「とても気に入っていますが…残念ながら売らなければならなくなったんです」と答えると、歯医者は即座に反応します。「ああ、それなら私が買いましょう!」

SP7にとって、どんな会話も最終的にはビジネスに結びつきます。彼らの思考は常に機会を察知することに集中しており、決してチャンスを逃しません。SP7は「警戒を怠れば、負け犬になってしまう」と考えており、常に状況を見極めながら動いています。

サンドラ・マイトリ

Maitri, S. (2001). "The Spiritual Dimension of the Enneagram"

SP7:ファミリー

ナランホはもともとSP7に「ファミリー」という言葉を使用しました。イチャーソが用いた「防衛者」という表現は、同じスタイルを別のニュアンスで捉えたものです。SP7は、他者と団結し、親近感やつながりを感じる相手を支えることで、生存を確保しようとします。彼らは家長として振る舞い、拡大家族の面倒を見るようになります。SP7は隣接するタイプ6の親しみやすさを持ち、寛大で支援的であり、父親的な存在に見えます。暴食という包摂は、ここでは生存を約束するように思えるあらゆるものを試し、味わおうとする飢えとして現れます。例えば、アイデアや理論、栄養的な支援、早くお金持ちになるための計画などが、その対象になります。

ベアトリス・チェスナット

タイプ7(自己保存)の説明(2021)

Chestnut, B. (2021). "The Enneagram Guide to Waking Up"

このサブタイプは実用的で、同盟を築くのが得意です。彼らは自分のニーズを満たすための家族のようなネットワークを作ります。警戒しつつも、快楽や有利な取引の機会に対して開かれています。陽気で、おしゃべりで、快楽主義的です。最も自己中心的なサブタイプであり、共感能力が最も低い傾向があります

もしもあなたがSP7である場合、自己観察を通じて、自分が状況に応じて有利な行動を選び、他人を利用することがあるかもしれない点に気付く必要があります。自分の利益のために他人を利用したり、他人のニーズや感情を無視する傾向があるかもしれません。自己中心的で、自分を優先することに無自覚なまま行動することがあり、それが利己的と見なされることもあります。また、心よりも頭を優先し、自分の感情に対する感度が低く、他人の感情にもあまり敏感でないことが多いでしょう。成長するためには、自分がどれほど自己利益から行動しているかを、より意識化する必要があります。

タイプ7(自己保存)の説明(2021)

Chestnut, B. (2021). "The Complete Enneagram"

SP7は、同盟を結び、有利な立場を得るための機会を作ることを通じて、タイプ7の「暴食」を表現します。実用的で自己中心的な彼らは、他者とのつながりを作り、それを活用することで安全を確保しようとします。「城の防衛者」という名称は、彼らが選別した同盟のネットワークを築き、その中で安全を確保し、必要を満たしていく様子を表しています。陽気で愛想がよく、快楽を愛し、欲しいものを手に入れる傾向があります。

タイプ7(自己保存)の説明(2021)

Chestnut, B. (2021). "The Complete Enneagram"

SP7:城の防衛者

SP7は、同盟を結ぶことでタイプ7の「暴食」を表現します。彼らは通常、信頼できる人々と結びつき、自分のニーズを満たすために、結束の強い集団を作ります。これは、家族のようなネットワークを形成し、その中で助け合う形になります。SP7は主に信頼できる人々に頼ります。彼らは、自分が価値を感じる人々によって構成された擬似的なファミリーを作り出し、その中で特権的な立場を占めることがよくあります。

SP7は非常に実用的で、人脈作りが得意であり、欲しいものを手に入れたり、良い取引を見つける能力に長けています。状況を巧みに利用し、自分に有利な立場を築こうとする傾向があり、自己中心的で、実利的で、計算高く、機転が利きます。有利な状況を作り出す機会を素早く察知します。そのため、ナランホはSP7における「暴食」は、あらゆる場面で利益を追求し続ける形で表れると説明しています。

SP7は、常に好機を探り、必要なものや望むものを手に入れるための方法を見つけることに長けています。彼らは、自分にとって有利に物事を進める手段を容易に見つけ出します。それは、適切な人々との関係、最も有利なコネクション、あるいは幸運なキャリアの機会かもしれません。彼らは耳を地面に当てるように周囲の動向を察知し、社会的に巧みに立ち回ります。SP7はビジネスの人脈作りに優れ、簡単にネットワークを広げることができます。なぜなら、彼らは警戒心が強く、生存を支える機会に対して常に注意を払っているからです。彼らの考え方をよく表すことわざとして、「油断すれば食われる(寝ているワニはバッグになる)」という表現が適しているでしょう。

SP7が築く同盟には自己利益の要素が含まれていますが、本人がそれを意識していないこともあります。ナランホは、彼らの関係性には「私はあなたに奉仕し、あなたは私に奉仕する」という相互利益の側面があると述べています。そして、この関係が負の側面を持つ場合、腐敗が生じることもあるのです。

SP7は、陽気で愛想がよく、享楽的なタイプの人々に似た特徴を持っています。彼らは温かく、社交的で、おしゃべり好きです(話すことが大好きです)。彼らは、できるだけ多くの楽しい経験を味わいたいという欲求を持ち、それが一種の貪欲さやせっかちさとして表れることがあります。あらゆる楽しい経験を味わい尽くしたいという気持ちが強いのです。彼らは状況をうまく操り、目立たずに物事を進めることに多くのエネルギーを費やします。そして、ほとんどの場合、望むものを手に入れることに成功します。

SP7の中心的な特徴は、快楽への強い欲求と、安全を確保するために必要なものを手に入れようとする自己中心的な傾向です。しかし、安全を求める過程で、彼らはしばしば「欲望」と「必要性」を混同してしまいます。彼らは、金銭や生活を支える物資をはじめとする豊富なリソースを持つことで安心感を得ようとし、それらが不足する兆しを感じると強い不安に駆られることがあります。

ナランホによると、SP7の三つの主要な執着は「戦略」「反抗」「孤立」です。ただし、SP7は非常に社交的で人脈も広いため、表面的には「孤立」しているようには見えないかもしれません。しかし、彼らの戦略的な思考や理知的な性質、そして自己中心的な志向が組み合わさることで、深いレベルでは他者との間に距離を生じさせることがあります。

SP7は、親切で寛大な人物であるかのように振る舞うことを好みます。彼らは、自分が周囲から頼られていると感じることで安心感を得ます。時には全能感を抱き、他者に対して自分の意のままに振る舞うこともあります。また、自分には通常のルールが適用されないと感じることがあり、「自分には法など存在しない」とすら思うこともあります。このように、自分の自由を主張し、自己利益のために必要な行動を取ることは、彼らにとって世界の中で安心感を得るための手段となります。

SP7の快楽への欲求や享楽的な傾向は、時に「胎内回帰」への無意識的な衝動として解釈されることがあります。彼らは、完全な快楽の状態、いわば原初的な楽園やユートピアを追い求め、その実現に人生を捧げることがあります。刺激的で楽しい経験を求める中で、食事や飲酒、あるいは官能的な楽しみを通じて、現実の困難やストレスから気をそらそうとすることもあります。

SP7とSX7は容易に区別できます。なぜなら、SP7は実用的で物質的な傾向が強く、SX7は理想主義的で非物質的な傾向が強いためです。SP7はより地に足のついた感覚的な性質を持ち、言葉通りの意味でより食欲旺盛です。一方、SX7はより「天上的」で熱狂的であり、ポジティブさや高い理想に向かう傾向があります。これら二つのサブタイプは、それぞれ異なる種類の「過剰さ」に焦点を当てていますが、SP7はタイプ7の中でも最も狡猾で策略的かつ実用的な性格を持ち、SX7はより軽やかで享楽的な性格をしています。SX7とは対照的に、SP7は理想主義的というよりも、皮肉屋で不信感が強い傾向があります。SX7は魅了されやすく、容易に陶酔するタイプですが、SP7はより現実的で具体的な思考を持っています。SP7はタイプ7の中で最も鋭敏で戦略的なサブタイプです。彼らは、時に恐れや偏執的な傾向を示すことがあり、これはタイプ6の特徴と重なる部分ですが、それが彼らの通常の状態というわけではありません。また、逆説的かもしれませんが、SP7の方がSX7よりも実際の性的な側面において積極的で誘惑的であることが多いです。SX7はしばしば理想化された精神的な結びつきに重きを置くのに対し、SP7はより現実的な楽しみを追求する傾向があります。SP7は「プレイボーイ」や「プレイガール」のような人物像に近く、食事や性的な楽しみを重視する傾向がありますが、SX7は実際の経験よりも、その雰囲気やイメージを楽しむことが多いです。

SP7は、他のタイプ7に比べると、比較的安定した長期的な関係を築きやすい傾向があります。例えば、多くのSP7は長年にわたって結婚生活を続けていたり、長期間安定したパートナーシップを築いていると報告しています。しかし、彼らがグループに参加する目的の一つは、将来的に何か必要になったときにリソースへアクセスできるようにするためであることが多いです。彼らにとって親密な関係は、一種の保険商材のようなものです。まるで銀行にお金を預けるかのように、「いざというときに頼れる人を確保する」という発想を持っています。そのため、SP7は自分が所属するグループやネットワークで非常に積極的に活動する傾向があります。

ナランホは、SP7において精神的な志向はあまり一般的ではないと説明しています。彼らはしばしば宗教を拒絶し、何も信じない傾向があります。他の二つのサブタイプ(SX7とSO7)に比べて、SP7はより実用的で物質主義的であり、反抗的です。彼らは非常に陽気で親しみやすい一方で、感情からは切り離された側面もあります。彼らは感覚的で、地に足のついた現実的な人物であり、楽しませ上手で、軽快で真剣さに欠けることもあります。しかし、金銭の獲得や人間関係のネットワークの構築を通じて安全を確保する点においては、非常に強い関心を示します。SP7がセカンダリーの本能としてセクシャル(SX)を持つ場合(SP > SXの場合)、彼らはよりタイプ6的な人物に見えることがあります(より孤立し、慎重で戦略的)。一方、ソーシャル(SO)をセカンダリーに持つ場合(SP > SOの場合)、よりタイプ8的な人物に見えることがあります(人間関係を重視し、衝動的)。しかし、タイプ6とは異なり、SP7はひたすらポジティブであり、自己利益を追求することで安全を確保しようとする傾向が強いです。また、タイプ8とは対照的に、SP7は深層では生存に対する恐れや不安に動機づけられていることが多く、彼ら自身はそれを意識していない場合が多いです。

次の内容は、SP7であるジョーという人物の発言です。

私の中には、尽きることのない欲求があると感じています。そして、この欲求は、幼少期に「人生は本質的に儚いものだ」と理解したことに由来しているのだと思います。一度逃した機会は、そう簡単に取り戻せるものではありません。そうした考えを持っていたため、中学を卒業し、高校進学を控えた頃、私は自分の優先順位を見極め、最大限に人生を生きるためのキャリアとライフプランを考えるべき時が来たと悟りました。私は当時13歳でしたが、ここで次のように優先順位を定めました。(1) 可能な限り人生を最大限に楽しむこと。(2) 他の人々にも、自分と同じように楽しんでもらうこと。(3) その過程で他者を傷つけないこと。これが8年生の時の話です(アメリカの8年生は日本の中学1年生~2年生相当の学年)。

医学部への道、そしてその先には、生活の質を犠牲にしなければならない厳しい選択がありました。私は10年間、楽しみを後回しにし、医学への知的な興味と外科医になることの素晴らしい経験を糧にしながら、勉学に没頭しました。私がこの困難を乗り越えられたのは、「充実した人生」という明確なビジョンがあったからです。短期間に逃した楽しみと、形成外科医として得られる長期的な満足や安定とを天秤にかけたとき、医師になるための努力は十分に価値があると確信できました。バランスを保つために、私は仕事の合間の短い休みの時間を思いきり楽しみ、週末や夜の自由時間には、友人たちとの時間を一分一秒も無駄にしないようにしました。

外科医になるまでの犠牲は決して小さくはありませんでしたが、今の私は、自分の「使命」を果たしたと胸を張って言える、最高の状態にいると感じています。最小限の害で最大の利益をもたらし、さらに生活の質に関する恩恵も享受できています。私は、言葉では表しきれないほど、アーティストである妻を愛しています。私たちは一緒に帆船に乗り、有機野菜を育てています。ブドウを育ててワインを作るという挑戦も楽しんでおり、美しく持続可能な自給自足の暮らしを築いています。仕事の時間も、遊びの時間も、それぞれが人生の報酬として実感できるものです。これ以上の幸せがあるでしょうか?何か間違っているでしょうか?

ただ、自分が理想的なほど感情と向き合えていないことも自覚しています。とはいえ、ささいな感情の動きを敏感に察知するよりも、むしろ多様なレベルでより強烈な経験を味わうほうが、自分にとっては意味があると感じます。愛や共感、その他の感情がふと意識の中に湧き上がると、その経験を楽しめますが、普段の私は、より知的な領域で十分に幸福に過ごしています。ときには恐れや不安が訪れることもありますが、それらと向き合うことにはあまり気が進みません。直感や感情に耳を傾けることは学びましたが、それが具体的な行動を促すような警告でない限り、私はネガティブな気分に深く浸らないようにしています

悪徳から美徳へ至る道においてSP7が取り組まなければならない具体的な課題

SP7は、飽くなき欲求から節制へと向かう道を進むことができます。そのためには、安全を確保しようとする本能に根ざした自己中心性が、無意識のうちにより広い経験の世界への扉を閉ざしていることに気づき、その現実を受け入れることが重要です。もしあなたがSP7であるなら、自分が気づかぬうちに恐れや不安に基づいて人生における関心の範囲を狭めていないか、注意を向けてみてください。そして、その深層にある動機に意識を向け、それらを受け入れることで、自分をより開いていくことを目指しましょう。また、常にチャンスを探し続ける自分の傾向に気づくことで、それが「快適に生き延びるのに十分なものを得られないのではないか」という根深い恐れの表れかもしれないと理解することができます。他者との関係においては、自分の行動を動かしているあらゆる動機や感情を意識的に捉えるよう努めてください。まずは、不安や痛みを表面化させることが、自己保存や快楽を追求する衝動を抑えるための第一歩となります。自分の欲求を満たそうとすることや自己利益の追求が、他者に悪影響を及ぼす可能性に気づきましょう。そして、自分の行動をどのように正当化しているのかを振り返り、欲求にとらわれることで視野を狭めていないか、あるいは(意図せずとも)他者に害を与えてしまうことを合理化していないかを探求してください。さらに、自己理解を深め、意識的に他者とのつながりを持つことで、親しい人たちと過ごす時間をより深く楽しめるようになります。自分のあらゆる感情を受け入れ、それらを否定せずに許容することに取り組むうちに、最大の喜びとは、自己と他者のあらゆる経験を開かれた心で受け入れることから生まれるのだと実感できるでしょう。

ハイキ

The Haiki Enneagram Website

SP7:ファミリー

SP7は、タイプ7の中でも最も誇張癖があり、大げさな振る舞いをしがちで、道徳的に堕落しやすい傾向を持っています。そのため、しばしばトラブルを引き起こしたり、巻き込まれたりすることがあります。彼らは非常に機会主義的で、自分の欲しいものを手に入れるためなら、ほとんど何でも利用します。状況でも人でも、彼らが活用しないものはありません。

オスカー・イチャゾはSP7を「城の防衛者」と呼びました。健全度が低い場合、彼らは「ファミリーのネットワーク」の中で非常に利己的に振る舞うことがあります(まるで映画「ゴッドファーザー」のように)。他のサブタイプの7とは異なり、SP7は誰にでも愛想よくするわけではなく、自分が気に入った相手にしか親しげに接しません。また、強い欲求を持つ傾向があり、その点では隣接するタイプ8と似ています。彼らの特徴は、あらゆる面での「過剰さ」です。食べ物から薬物まで、あらゆるものを際限なく求めるため、タイプ7の中で最も依存症に陥りやすいのがSP7です。

彼らは親しい人に甘い言葉をかけ、非常に説得力があります。自分の望みを叶えるために役立つなら、誰でも歓迎します

会話の中にはしばしば隠された意図があり、もし途中で何かを売る機会があれば、迷わずそれを売りつけます。ビジネスは彼らの情念を注ぐ対象の一つです。さらに、彼らは自分自身をも欺きながら、魅力的な外見を保ち、自分の望むものを手に入れることができます。状況次第では、非常に狡猾で操作的になることさえあるでしょう。

とはいえ、SP7は一人で楽しみたいわけではありません。結局のところ、彼らはタイプ7です。どれほど自己保存本能が強くても、グループや「クラン」(家族や親しい友人の集まり)とともにいることを求め、その中で思う存分、欲望を解放したいと願っています。彼らは仲間内での自己陶酔を助長する存在だと言えるかもしれません。選ばれた少数の友人たちと、まるで明日など存在しないかのように、人生と快楽に溺れるのです。

カルメン・デュラン、アントニオ・カタラン

Durán, C. and Catalán, A. (2009). "Los engaños del carácter y sus antídotos"

SP7:ファミリー

SP7は、自分が重視するコミュニティや親しい関係と結びつき、自分の世界や理想を共有したいというニーズを持っています。この「ファミリー」は、必ずしも血縁に基づくものではなく、タイプ5が求める避難所の外向的な形態であり、またSP6が望む調和を見つける環境にも似ています。このファミリーは時間とともに変化し、場合によっては置き換えられることもあります。SP7にとって、このファミリーの基本的な使命は、世界の危険さやそれに対する無力感を否定するために必要な希望を維持することです。彼らは自分のファミリーに属する人々(SP7にとっての「自分の人々」)を大切にし、彼らを守ることによって自分自身の世界を守ります。このファミリーとの関わりの中で、保護し、保護されるという感覚が生まれますが、共有された理想が壊れると、それはもはやファミリーではなくなります。SP7の「自分の人々」への深い愛情と、それ以外の世界への無関心との間には、はっきりとした対比があります。この「それ以外の世界」とは、SP7が築いたファミリーの理想に合わないとみなされるものを指します。より深いレベルでは、愛され認識されるものと、攻撃的で拒絶されるものとの間に強い分断があり、これはファミリー的なものとそうでないものを明確に区別して生活するという形で表れることがあります。

ラ・ミラダ・リブレ

Psychology of Ennea-types Volumes by Claudio Naranjo Interpreted by La Mirada Libre

SP7は実務的で地に足がついており、SX7やSO7のように理想主義的でも空想的でもありません。SP7は「ファミリー」と呼ばれますが、それは相互の利益をもとに絆を築くからです。とはいえ、彼らが築くものは、言葉の正の意味での家族というよりは、マフィアの「ファミリー」に近いものです。その理由は二つあります:自分たちの利益や快楽への欲求を満たすため、そして幼少期から抱えている自己保存の不足感を抑えるためです。

このサブタイプは「城(冷たく空虚な要塞)の防衛者」とも呼ばれます。これはそのスキゾイド的な性格を反映した言葉で、透明性やコミュニケーション、愛情、信頼の欠如、そして感情的な孤立や極端な自立、個人主義、どんな犠牲を払ってでも独立を求める傾向を表しています。感情面では、タイプ5よりもさらに心を閉ざすことがあります

彼らは自分の環境にいる「ファミリー」には愛情深く接しますが、それ以外の人々には搾取的です。法律や社会のルールよりも、相互に利益のある「血の絆」や暗黙の契約のほうを信頼しています。

彼らは表面的にはナルシシスティックな感情に支配されていますが、内心では根深い不十分感を抱えています。劣等感や嫉妬心に苛まれ、「自分は悪い存在だ」と感じやすい傾向があります。なぜなら、彼らは他者が提供するモノやサービスによって愛情を測るようになってしまった「打算的な子供」だからです。

言葉や知性を武器にした巧みな操縦者(詐欺師)的な側面もあり、共犯関係を作るのが得意です。理由もなく反抗的で、世界を敵対的な場所と見なし、自分の身を守りながら快楽を追求することに重点を置きます。その行動は、タイプ8の欲望に似た搾取的な衝動に近づきますが、無意識下にある「罰せられるかもしれない」という恐れと、「ファミリー」への依存が、その暴走をかろうじて抑えています。

SP7は「VIP」と肩を並べることを好み、また、程度の差はあれ貧困への強い恐れを抱いているため、自分を前面に出すことなく、他者を通じて輝けるポジションに身を置きます。常に「博識な人物」という役割に身を隠しつつ、目立たないようにしながらも周囲に自分の価値を示したいと考えます。同時に、美しい人々に囲まれることを好み、特に人間関係においては美に対して一定の執着があります。

彼らは他者を自分が理想とする「快適な生活」に引き込むことを好み、また自分が物事をよく知っている人物として(特に男性の場合は女性に)話を聞いてもらい、認められることを強く望みます。さらに、すべてのタイプ7と同様に、SP7は非常にユーモアのセンスを持っていますが、SP7はそのユーモアをしばしば他者を挑発する手段として使うことがあります。

要するに、彼らは隠れた加虐性を持っており、表面的には親切そうに振る舞いながら、実際には他者を傷つけたり利用したりする傾向があります。SP7の欺瞞的な行動は、大規模なビジネス上の詐欺から、パートナーとの不倫や裏切りに至るまで多岐にわたります。3つのサブタイプの中で、SP7は知的かつ活動的な側面が最も強く表れるタイプです。

ドン・リソ、ラス・ハドソン

Don Riso and Russ Hudson (1999),The Wisdom of the Enneagram: The Complete Guide to Psychological and Spiritual Growth for the Nine Personality Types

自分の快適さを守る:健全度が平均的な段階では、SP7は決断力があり、エネルギッシュで、常に基本的なニーズや快適さが満たされている状態を維持しようと努力します。彼らの態度や関心は実践的で物質的なものに向かいやすく、物理的な安全や快適さへの強い執着が見られます。(「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの名言「神を証人に、私は二度と空腹にならない!」が象徴するように、物質的欠乏への恐れと、それを回避するための強い意志が根底にあります)。彼らは野心的で、選択肢が常に開かれている状態を維持するために懸命に働きます。

SP7は、生粋の消費者でもあります。彼らはショッピングや旅行、自分を甘やかすことを心から楽しみ、楽しみのもととなる情報(カタログ、映画のリスト、旅行やレストランのガイド)を熱心に集めます。特にセールやお買い得品には敏感で、そうした話題を友人と共有するのを好みます。(「あそこの雑貨店でとっても素敵なマグを見つけたの」「そのコンピューターモニター、いいね。いくらだったの?」)彼らは社交的ですが、他者に依存することや、逆に他者から依存されることを恐れ、人間関係における束縛を避けようとします

健全度が低下すると、SP7は、欲求がすぐに満たされないと焦燥感やパニックに陥りやすくなります。快適さや物質的な支えが失われることに強い不安を感じ、すぐにでも満たされなければ奪われたような感覚に陥ります。(「空腹になる恐れ」は象徴的な不安としてよく見られます。)こうした状態では非常に我がままで苛立ちやすくなり、欲求を表現するとすぐにでも他者が応えることを期待します。

不健康な段階に陥ると、SP7は思慮深さを失い、安定を求めて際限なく快楽や物質的満足を追い求めます。自分の不安を打ち消すためなら、他者の干渉を一切許さず、何が何でも欲しいものを手に入れようとします。財産や資源を無計画に浪費し、ギャンブルに溺れることもあれば、自分の健康や内面的なエネルギーすら無謀に使い果たします。食べ過ぎ、飲みすぎ、快楽の追求に身を任せ、理性のリミットを超えて自分を消耗させてしまうのです。


出典:
本記事はPDB(Pdb: The Personality Database)様のwikiであるhttps://wiki.personality-database.com/様の上記リンク先ページを日本語へと翻訳し、訳者判断でアンダーラインを引いたものです。CC BY-NC-SA 3.0を継承しています。

QooQ