本能のサブタイプの起源
本能のサブタイプ(生得本能 [1])は、クラウディオ・ナランホがエニアグラムの理論に加えた概念です。これは、オスカー・イチャーソの「関係」「保全」「同調(適応)」のエニアゴン(九角形のこと)の理論、および、グルジェフの「性」「本能」「運動」のムービングセンター(動的中心)の理論を元に成立した理論です。なお、生得本能の成り立ちに関するこの説明は、フレデリック・シュミットとベルナデッテ・シュミットによる説明を参照しています。
1970年、ナランホはオスカー・イチャーソの指導のもと、チリのアリカ近郊の砂漠で行われた1年間のスピリチュアル・リトリートに10か月間参加しました。そのリトリートにおいて、ナランホは、当時イチャーソが提唱していた「保全のエニアゴン」「関係のエニアゴン」「同調のエニアゴン(のちに適応へ変更)」の3つのエニアゴンを学びました。これらにはそれぞれ固有の9つのキーワードがありました。しかし近年になると、イチャーソはこの3つのエニアゴンの理論を放棄したため、現在のアリカ・スクールではもはや使用されていない理論です。当時(1970年)、イチャーソもナランホも「サブタイプ」という概念については語っていませんでした。
興味深いのは、ナランホがイチャーソと出会う前にグルジェフの「第四の道」の教えを学んでいたことです。このグルジェフの教えでは、人間の主な機能として「知的(Intellectual)」「感情的(Emotional)」「運動的(Moving)」の3つのセンターがあるとされています。(中略) そしてナランホは、ここで画期的な発想を得ました。すなわち、イチャーソの3つのエニアゴン(保全・関係・同調 ⁄ 適応)を、グルジェフのムービングセンターにおける3つの機能(性・本能・運動)に対応させたのです。こうして、サブタイプの概念が誕生しました。
- グルジェフの「性」機能(Sex function)は、イチャーソの「同調 ⁄ 適応」サブタイプ(Syntony ⁄ Adaptation subtype)と統合され、ナランホによって「セクシャル(性的)サブタイプ」(sexual subtype)と改名されました。
- グルジェフの「本能」機能(Instinctive function)は、イチャーソの「保全」サブタイプ(Conservation subtype)と統合され、「自己保存サブタイプ」(self preservation subtype)と改名されました。
- グルジェフの「運動」機能(motor function)は、イチャーソの「関係」サブタイプ(Relation subtype)と統合され、「ソーシャル(社会的)サブタイプ」(social subtype)と改名されました。
─ エニアグラム・マンスリー #211「サブタイプ:パラダイム・シフトと統合的視点」[1]
したがって、イチャーソは自らのエニアゴンを「サブタイプ」や「変異体」とは見なしておらず、「執着に応じた明確なパターン」[2]として説明していました。それは、各タイプが社会的関係・同調性・存在の保全においてどのような歪みを示すかを表すものです。さらに、イチャーソが「本能」と呼んだ「保全・関係・同調 ⁄ 適応」は、現在のサブタイプとは異なり、エニアグラムの三元論(トライアド)と結びついています。すなわち、「保全」は本能(ガッツセンター)、「関係」は感情(ハートセンター)、「同調 ⁄ 適応」は知性(ヘッドセンター)に対応します。ここで重要なのは、ナランホの「臨床エニアグラム」における本能タイプと、イチャーソが初期に提唱していた本能タイプは同一ではないという点です。たとえば、ソーシャル(SO)本能は知性のトライアド(ヘッドセンター)と直接的な関連を持たず、セクシャル(SX)本能が感情のトライアド(ハートセンター)に対応するわけでもありません。臨床エニアグラムでは、生得本能と、各センターは、それぞれまったく独立したシステムとして提唱されています。
本能のサブタイプの働き方
本能のサブタイプ(生得本能)は、神経症的な影響を及ぼす領域であり、エニアグラムの各タイプごとの執着の表れ方をゆがめるものです。その中でも、特に脆弱で敏感な部分が影響を受けることによって、エニアタイプごとの「情念」(例えばタイプ9であれば「怠惰」の情念・欲求を持ちます)がねじ曲げられ、サブタイプという形で変質が生じます。生得本能とは、神経症的な問題へと変化した「情念」が、その人の行動パターンに影響を与えるものです。例えば、タイプ7の情念である「暴食」は、セクシャルな領域に向かうと「暗示にかかりやすい性質」として現れ、自己保存の領域に向かうと「家族への執着」として表れます。
エニアグラムの他の要素と同じように、生得本能は諸刃の剣のようなものです。また、生得本能の根底には「脅威に晒された」と感じた経験があります。自己保存本能は、幼い頃に物理的または心理的な安全が脅かされたと感じたことで生まれます。たとえば、大切な人が突然亡くなるといった出来事がそのきっかけになることがあります。セクシャル本能は、親のどちらかとうまく調和できなかったと感じたことから生じ、ソーシャル本能は、自分の居場所が失われるような感覚を持ったことが原因となります。一見すると、生得本能が働く領域では「強く」見えるかもしれません。しかし、実際のところ、この強さは表面的なものにすぎず、内面的にはとても繊細で、脆弱性を孕んでいます。
イチャーソとナランホが説くエニアグラム理論によれば、私たち一人ひとりには、他の本能よりも特に重要な関心を持つ本能があります。そして、この特に強く意識する本能のことを「サブタイプ」と呼びます。本能には三つの種類があり、イチャーソはこれを「保全(conservation)」「ソーシャル(social)」「同調(syntony) ⁄ 適応」と呼び、ナランホは「自己保存(self-preservation)」「ソーシャル(social)」「セクシャル(sexual)」と呼んでいます。
自己保存本能(保全)は、主に肉体的な生存、維持、継続に焦点を当てていますが、イチャーソはこれをさらに広げ、感情的および知的なニーズの充足も含めています。
ソーシャル本能は、集団の中での人間関係や社会全体とのつながりに関わるものです。
セクシャル本能(同調 ⁄ 適応)は、親密な関係や、他者と深く共鳴(シントニー)することの必要性と結びついています。
この理論では、これら三つの本能のうち一つが、私たちにとって特に重要な関心事となるとされています。エニアタイプと同様に、このサブタイプも生涯を通じて変わることはありません。人はこの本能の領域に対して特に意識を向け、それを満たそうとする傾向があります。また、この領域に対して敏感であり、脆さを感じやすいです。それは、私たちが聖なる理念 [2]に対して敏感であるのと似ています。つまり、人は特に重視する本能の領域に不安や脆弱さを感じるため、無意識のうちに多くのエネルギーをそこに注ぐことになるのです。
—『エニアグラムの精神的次元』マイトリ[3]
特徴
ソーシャル
「最も重要なのは、世界とのつながり、コミュニケーション、そして自分自身や家族を超えた広い関係性です」
ソーシャル(SO)タイプの人は、大規模な集団や社会全体、その中の文化、支配的な権威、社会的役割やヒエラルキー、価値観に強く関心を持ちます。彼らは集団に属することで自身の価値を確立し、成功を通じて称賛されることを求めます。そのため、理想化された自己像に意識が向きやすくなります。一般的に(例外はありますが)、これは自己重要感の肥大化や、環境に対する、より外向的な反応を伴います。最も重要なのは、所属し、世界とつながりたいという強い欲求です。 [3]
ソーシャル本能は、三つの本能の中で最も知的な側面を持つと言われます。ただし、これは「最も知能が高い」という意味ではなく、文化や権威の重要性を強く意識することで、知識や知性への関心が高まりやすいということです。そのため、本来「反知性的」 [4]と見なされるタイプであっても、ソーシャル本能が強い場合には、知的な傾向が強まることがあります。
ソーシャル本能が優勢な人は、対人関係や集団とのつながりに特に敏感です。これらの領域に対して最も不安定になりやすいのは、心理的な補償作用が働いているためです。ただし、これは必ずしもこの領域に対して「最も脆弱」という意味ではありません。むしろ、ソーシャル本能が強い人は、他者よりも優れた対人スキルを持ち、権威や集団の動向を見極め、適応する能力に長けています。また、必要に応じて特定の人を集団から排除することにも長けています。
つまり、ソーシャル本能の強い人が「所属したい」と願うのは、単なる願望ではなく、「所属できないこと」に対する根深い不安や恐れに由来するのです。
セクシャル
「この本能が支配的になると、その人はパートナーや家族に強く意識を向けるようになります」
セクシャル(SX)本能は、世界との深いつながりを求めますが、ソーシャル(SO)本能のように広範な関係性を築こうとするのではなく、理想の相手を引き寄せ、望ましくない相手を遠ざけることを目的とします。そのため、強く繊細な信号を常に送り合いながら、魅力を発信し、関係を築こうとします。相手との波長を合わせたり、逆に合わない相手とは距離を取ったりすることで、望ましいつながりを作り出そうとします。こうして、特定の相手との関係がどのようなものかを深く理解し、互いに影響を与え合いながら、感情的なつながりを深め、最終的には強い結びつきや一体感を求めます。
親密な関係を強く求めすぎると、あらゆる体験がより刺激的になり、情熱や欲望に深くのめり込むことで、強烈な人格になりやすい傾向があります。これは、相手との「引きつけ合い」や「反発」といった要素に強く意識を向けることで、「自分と相手の関係が、どのように影響し合うか」を敏感に感じ取るようになるからです。そして、この刺激が強まるほど、SXタイプの人が持つ「相手と一体化したい」という欲求がさらに強まり、それに伴い、相手から得られる満足感も高まります。セックスは、この強い結びつきを表現する方法のひとつであり、多くのセクシャル本能の強い人々は、これを最も重要な方法だと感じています。SXタイプの人は、相手に身を委ねることで満足するだけでなく、相手を受け入れることにも喜びを感じるため、結果として二人の関係はより深く結びつきます。
セクシャル本能が強い人は、感情的なつながりや親密さに関して特に敏感であり、その領域が最も不安定になりやすいとされています。これは、心の中で無意識にその不安定さを補おうとしているためです。ただし、これは必ずしもこの本能の働きを理解していないという意味ではありません。むしろ、セクシャル本能が強い人は、他者と情熱的で深い関係を築くことに長けていることが多いです。とはいえ、その根底には「自分は本当に相手と一つになれているのか?」という不安が常にあります。
自己保存
「この本能が支配的になると、その人は安全、健康、そして経済的な安定に強く意識を向けるようになります」 [5]
自己保存(SP)本能が強い人は、自分の生存や必要なものがどれだけ確保されているかを常に気にします。彼らは、「自分に必要なものが足りないのではないか」「このままでは生き残れないのではないか」という不安を持ちやすく、あらゆるものは時間とともに失われていくという意識を持っています。そのため、自分のリソースや身の安全を守ることに細心の注意を払い、特にリスク管理や防衛の重要性を強く意識します。また、「物質的な安定があってこそ安心できる」という考えのもと、健康や経済的な安定を常に気にかけ、それを確保するために努力を惜しみません。
しかし、この安全へのこだわりが強すぎると、本当に自分が必要としているものと、(実際には必要で無くても)欲しいものの境界が曖昧になり、物質的な執着や過剰な健康不安、過度な心配性につながることがあります。また、安全を確保するために努力しすぎるあまり、働きすぎたり、過度に積極的になったりすることもあります。自己保存タイプの人は、依存と独立の間で揺れ動くことが多く、「生き延びるためには、誰かに頼るか、自分が頼られる側になるしかない」と考える傾向があります。そのため、過度に依存的でありながら、同時に極端に自立的であることが少なくありません。
また、彼らは「自己中心」と「自己犠牲」の間でも揺れ動きます。自分のニーズを優先することで利己的になりがちですが、一方で、自分の資源や安全を犠牲にすることで愛情を示したり、より大きな安定を得ようとしたりすることもあります。
自己保存本能が強い人は、安全や健康の分野に特に敏感であり、これらの領域の不安定さを感じやすいとされています。しかし、これは必ずしも「必要なものを得るのに苦労する」という意味ではありません。むしろ、彼らは生存のための手段を見つけるのが得意であり、状況に応じて適応する能力に優れています。ただし、その根底には「自分には不足がある」「いつかすべてを失うのではないか」という神経質な思い込みがあり、それが過剰な心配や自己破壊的な悪循環を生み出してしまうことがあるのです。
本能のサブタイプは独立したシステムとして成立するか?
「エニアグラムにおける本能には、それぞれ固有の特徴があり、エニアグラムのタイプと同様に、独立したシステムとして扱うことができます」
エニアグラムの本能には、それ自体に明確な特性があり、エニアグラムのタイプとは別に識別することが可能です。特定の本能の変異体は、その人がどの本能の領域(自己保存・ソーシャル・セクシャル)を特に重視しているかによって見分けることができます。そのため、エニアグラムのタイプを特定しなくても、ある程度その人の本能的な傾向を把握することができます。例えば、セクシャルタイプの人は親密な関係を重視する一方で、対人関係の広がりや身体的な健康管理にはあまり関心を持たない傾向が見られることがあります。
エニアグラムのタイプとエニアグラムの本能を個別に考察することは、それぞれの特性を正しく理解するために不可欠です。個々のサブタイプを詳細に記述した情報は、タイプ判定の助けとなり非常に有用ではありますが、その形成には、エニアグラムの本能と、エニアグラムのタイプの両方が影響を与えています。これらを個別に理解しないままサブタイプを判断すると、タイプ判定に誤りが生じやすくなります。そのため、エニアグラムの本能と、エニアグラムのタイプの両方を明確に区別しながら考えることが重要です。
参考文献
- [1] Enneagram Monthly #211 Subtypes: A Paradigm Shift & an Integrative View.
- [2] Lilly, J.C. & Hart, J.E. (1975). "The Arica Training".
- [3] Maitri. S. (2001). "The Spiritual Dimension of the Enneagram".
訳注
- ^ 日本では「生得本能」」と呼ばれることが多いため、本サイトでも生得本能という単語で訳す方針にしている。注意点として、「生得」とあるが、必ずしも先天的に備わっていると定義されているわけではなく、幼少期の経験に応じて獲得するようなニュアンスで説明している専門家もいる。例えば「ナランホ」の監修で作成された「Naranjo, C. (2021) "Avaricia: mezquinos, arrogantes e indiferentes"」では、SX5について、子供の頃に病気などで死にかけたり、母親を早期に亡くすなどの「死に近づく経験」をしたというような「万人が多かれ少なかれ経験するが、そのタイプの人だけがその経験を特にネガティブな経験として強烈に記憶してしまう」「同じ経験をしても、そのタイプの人にとっては、先天的に特にネガティブに感じやすい傾向を持っていた」と言える範囲を超えるような幼少期の経験の話が登場する。他にもこのような「幼少期の経験、特に養育者とのネガティブな経験」を元にサブタイプの説明を行っているケースはナランホ以外にも散見される。
^ エニアグラムにおける「聖なる理念」(Holy Ideas)とは、各タイプが本来持つべき現実の捉え方、すなわちエゴのフィルターを通さない純粋な視点を指す。オスカー・イチャーソがこの概念を提唱し、各タイプに対応する「聖なる理念」を定義した。これらは、エゴによる歪んだ認識を正すための普遍的な真理とされる。ナランホの弟子であるA.H.アルマースは、著書「Facets of Unity: The Enneagram of Holy Ideas」において、各タイプの固定観念は現実に対する限定的な精神的視点の表れであり、これらは「聖なる理念」の欠如や喪失から生じると述べている。つまり、「聖なる理念」とは、エゴの主観的なフィルターを通さず、目覚めた知性による客観的な現実の見方を指す。各タイプに対応する「聖なる理念」は以下の通りである。
タイプ1:聖なる完璧(Holy Perfection)
タイプ2:聖なる意志(Holy Will)
タイプ3:聖なる法(Holy Law)
タイプ4:聖なる起源(Holy Origin)
タイプ5:聖なる全知(Holy Omniscience)
タイプ6:聖なる信仰(Holy Faith)
タイプ7:聖なる計画(Holy Plan)
タイプ8:聖なる真実(Holy Truth)
タイプ9:聖なる愛(Holy Love)これらの理念は、各タイプがエゴの制限を超えて現実をありのままに理解するための指針となる。しかし、エゴの影響下ではこれらの理念から切り離され、現実を歪んで認識することがある。「聖なる理念」を理解し、内面化することで、各タイプは自身の固定観念や行動パターンを超越し、より健全でバランスの取れた状態へと導かれるとされる。例えば、タイプ7の「聖なる計画」は、宇宙には自分が主導しなくても進行する大いなる計画が存在し、必要なものは提供されるという考え方である。タイプ7がこの理念を受け入れることで、過度の不安や欠乏感から解放され、現在の瞬間をより深く味わうことができるようになる。「聖なる理念」は、各タイプのエゴによる歪みを正すための深遠な真理であり、その理解と実践は自己成長と精神的な目覚めへの道を照らすものとされる。
- ^ ソーシャルは一見すると社交的な特徴を強く持つように見えるかもしれないが、エニアグラム用語の生得本能「ソーシャル(社交的)」と、一般的な意味での「社交的」は異なると言及している専門家もいる(例:エニアグラム タイプ4:ソーシャル(SO4)・ハイキによる説明)。
- ^ 「反知性的」:タイプ8のこと。特にベアトリス・チェスナットは、SX8を最も反知性的であると説明している。他にタイプ2も反知性的だと言われることがある。しかしながら、ここでの説明である通り、ソーシャルであるSO8やSO2は知性的な面が目立つサブタイプである。
- ^ 物質的安定や健康を維持するどころか、むしろあえて自分を痛めつけるようなことをして「私はこれほどの痛みや苦難にも耐えることができる」と実感しようとする、一見すると「自己保存らしくない自己保存」サブタイプもいる。具体的にはSP4。SP4はわざと自分を傷つけて見せるようなマゾヒスティックさがあると言われる。